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【七峰クラシック】デスペラードの残香、そしてニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨンとはなんだったのか

こちらは2022年11月14日に投稿し諸事情で下書きに戻した記事の一部を加筆修正して再編集したものです。

いらっしゃい。

 おれは誰でもなく逆噴射聡一郎文体を摂取すると出てくる人格だ。

イラストお絵描きばりぐっどくんにて作成
prompt"中世の酒場"

 行きつけのイマジナリーサルーン「名もなき宵霧よいぎり亭」で、おれは10月から始まった新たな仕事の疲れを癒そうともがいていた。

 停滞による不安……このままでいいのかという無軌道な疑問……そして逆噴射小説大賞の締切ブーストで一時的に高揚した創作活動へのモチベーション……そういったものがおれにプレッシャーを与えてくる。

 なんだかよくわからなくなって、おれはツタヤに駆け込んでDVDやBlu-rayを5,6本借りたり、フィルタリング時間制限のない抜け穴タブレット端末で夜10時までYouTubeを見たりしていた。それが心身の疲れを癒す策ではまったくないことをわかっていながら……やめられなかった。

 一番最悪だと思ったのは、借りてきた映画がおれの目の上を通りすぎていくことだった。その上一本は再生機器の不調で半分も見られず、一本は見ずに返した。映画を見て見識を深めよう、知識人になろうというワナビの夢は、いつも自分自身の手で砕かれる。

 だが、あの映画だけが鑑賞後もおれの胸の奥に熾火おきびめいた熱を残してツタヤの棚に戻っていった………………デスペラード

 5年前、逆噴射聡一郎とその文体に触れるまでおれはこういうハードでタフネスでバイオレンスな映画の世界とは無縁だと思っていた。

 しかし今年の逆噴射小説大賞で原始人になる資格を巨大サラダボウルから与えられる真の男(サル)を書くにあたって、どういう人物像がおれの手になじむのか(こいつの話を書かずにはいられないと思うのか)をずっと考えていた。米子マンガミュージアムで「機械メカ戦士バトラーギルファー」というマンガを読んで、真の男とは過去を捨てて未来の為にいまを生きる者のことなのだろうか? と頭を悩ませる日もあった。

 そちらの問題にはうまい着地点を見つけられなかった(ジロには意味深な過去とか無くたまたま若く正義感の強いサルだっただけだと思う)が、デスペラードを見たおれは、マリアッチの男がたどった壮絶な過去とその落とし前の付け方、そしてベイブを連れてどこかへ去っていくラストシーンの凄い爽やかさ…………そういうものを感じて、という印象を覚えた。

 優れたギター演奏家としての輝かしい日々が一夜にして崩れ去る挫折。それを銃と血で乗り越えた先にあるギター少年との交流。その喜びもまた覆され、それでも残される小さな希望……そういうものがおれの心にも「刺さる」というか、わずかな引っかかりを残した。

 おれはメンタルの停滞感にもがきながら次の渇きを癒すものを探し求めていた。他作者の逆噴射小説大賞応募作品を読む時間をなかなか作れず、こうして半月が経っている。「おれ」を形成する逆噴射文体も満足に摂取できていなかった。

 だからこそおれは、7年前の忘れ形見に決着をつける義務を感じていた。すなわちBS11放映版ニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨン(いわゆるスペシャル・エディシヨン版。以下シヨン)のダビングBlu-rayを、完走すること。

 これに関しても、逆噴射聡一郎がパルプ小説講座の中でニンジャスレイヤーのREALとは何かを客観的に評価したくだりを読まなければたどり着けなかった境地ではあった。

そこに暮らしているキャラクターたちにとっては、この世界が当然であり、真剣に向き合わなければサヴァイブできないリアルさが広がっている。働かなければメシも食えないし、いつ理不尽に巻き込まれて悲惨な最後を迎えるかもしれない。(中略)

つまりどうゆうことか? いま、このときの、現代社会にいきるおまえと同じということだ。

 無茶苦茶な世界観、荒唐無稽な筋書きでも、それを当然として向き合い生きてゆく人間模様、その根底に現実世界の我々にも通ずる理念の結びつきがある。
 逆に言うとニンジャスレイヤーはそこまで踏み込んでいかないとわからなくなって離れる……もしくは作品なのかもしれない。穏健派ニンジャヘッズにも擁護できないニンジャスレイヤーのは、そこかしこにあることが7年前アニメを途中離脱したおれていどにも少しはわかるからだ。

 そもそもニンジャスレイヤーという作品そのものが、グルメ漫画で言えば食通を見た目で絶句させたのち味の深みで号泣せしめる類いの劇物である。

 その覚悟のうえで鑑賞するシヨン1話は、まさにニンジャスレイヤーという氷山の一角であり……ここからふるいにかけられるのだ。この限定された情報量の中に凝縮されたニンジャスレイヤーのエッセンスを、受け付けられるか否かを。

https://www.nicovideo.jp/watch/so26039846

 今でこそSSSS.GRIDMANプロメアのトリガーだが、2015年のこの時点で制作されたテレビアニメに限れば「キルラキル」「異能バトルは日常系のなかで」の二作品のみだった。キルラキルの爆発的な輝きは一過性のものか否か、という難しい立場に置かれていたことは想像に難くない。

 その上で、2012年のWeb配信アニメインフェルノコップに近い表現手法として、すなわち低予算アニメの権化のようなかたちで現れたシヨンは、トリガーにしてみれば爪を隠したままの鷹といった感じだったのではないか……と結果論だが推測する。各話数ごとに配されたエンディングテーマ、豊富かつ本作のアフレコに真正面から取り組んでくれた声優陣、名の知られたアニメーター……スタッフ・キャスト欄を見る者が見れば、他にもやりようがあったはず……もっと絵が動いてハイクオリティなアニメが見れたはず……そう考えるのは致し方ない。

 地上波放送に際して「規制ナシで大丈夫か!??」というキャッチコピーが公式サイトにも書かれているくらい、ニンジャスレイヤーには残酷なゴア表現、◆猥褻が一切無い◆とは言うがそういうものの要素が詰まっておりインフェルノコップ風の、俗に言う「FLASHアニメ」はそうした規制逃れの策であったとする説も、終わった後ではなんとなく信じられるから不思議なものだ(ラスト・ガール・スタンディングのリョナ描写やナンシー=サンの緊縛表現に関しては言い訳がきかないが)。どことなく、猪木-アリ戦の「世紀の凡戦」から「総合格闘技の黎明」という評価の変遷をおれは連想する。

 確かに直接的な人体切断描写はキャラクターデザインから抜き出したような立ち絵がそのまま断ち切られて誇張された血しぶきがほとばしる……というのがお決まりのパターンになっている。しかしその表現のために小説としてのニンジャスレイヤーには不可欠だった繊細かつ大胆な地の文アクションが大胆そのものなFLASHアニメとしての立ち絵の上下左右回転に終始しており、そこが「もう少しまともにアニメ化してほしかった」という評価の根本だろう。

 そしてGRIDMAN UNIVERSEのブームを経た今では、ニンジャたちがあえて玩具的(スタンド台座の先端を差し込む穴があるなど)な意匠でもって形作られていることや、最終話で4:3フレームを砕き見慣れたニンジャスレイヤーが現れる展開などに、古くは2015年1月の電光超人グリッドマン boys invent great heroから連なる雨宮哲アニメの点と点が線でつながるイズムを感じることも不可能ではないだろう(boys invent great heroにはグリッドマンのアクションやメカニックの合体カットがあるが、なぜかシヨンにも似たようなカットがあった。おれは見ていた)。そういう意味でもシヨンはトリガーのマイルストーン的アニメであるはずだ。……だからこそ、踏み台にされた気分のヘッズもいるのだということもわかった。

 スペシャル・エディシヨン版全13話、すなわちオリジナル全26話は一気に完走することに意義があったと、おれは思う。
 まず初日からテレビを独占できる時間が足りず中断を余儀なくされ、パソコンはBlu-rayを読み込まず、おれとシヨンのがっぷり四つから外のほうにいる家族には白い目で見られる……そういう逆境の中だったが、FLASHアニメと逆作画崩壊の映像体験からニンジャスレイヤーのエッセンスをロデオめいて抽出し「ここは地の文だともっと細かいんだろうな」「ここはイヤグワがずっと続くんだな」「スワン・ソング・サング・バイ・ア・フェイデッド・クロウは今見ると演じた藤原啓治さんと重なって悲しい。悲しいけどいいアニメだな」……そういう気持ちになった。

 そしておれに残った最後のモチベーションで、物理書籍を1巻から読み進めている。これはいつまで続くかわからない(P.S.この試みは中断し、最終的にコミカライズ版で大筋を読み終えた)。

海外版を見てこそニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨンだという感じもするので、初めての輸入盤Blu-rayがシヨンというのも乙なのではないかと思うのだが、再生機器の手配とかいろいろ面倒そうなので手が出しづらい。

 以上だ。

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