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30歳成人説を、信じようと信じまいと ~29歳の誕生日に寄せて

 1995/5/15から数えて29年目の誕生日を迎えました。

結局早寝早起きがいちばん難しい

 例年スマホ夜ふかしとの格闘の最中だった誕生日だが、今年は先々月からの寝付きを良くする薬の変更に伴う生活リズムの変化によって大きく改善の方向に進んだ。

 その代わり早朝にパソコンをつけるような余裕ができたことで、良くも悪くもまた日常に微妙な変化が現れたのだが……少なくとも悩みごとばかりだった今までとは違った晴れ晴れしい気分でこの日を迎えられている。

 睡眠環境の改善のために図書館から本を借りてみたが、寝室は寝室としてそれだけのために区別し清潔かつ快適に保たないといけないのはこの世の真理のようだ。

 実際のところ我が家では条件の達成が難しいためそれにはそれなりの睡眠の質しか求められないのだろうが、自分の特質を見極めながら睡眠のための行動に自身を誘導してゆくしかないと考えている。

財布にも「持続可能」な目標を

 就労移行支援事業所時代に読んだ本で貯蓄の重要性を説かれたにもかかわらず、散財の年が続いた。

 無理をすると手が届く、という言い回しを使うのだが、僕の欲しいモノというのは大概1万円以上のマニアックな高額商品であったり、ひとつひとつが安くてもカードの翌月支払を見ればチリツモで危うかったりする。

 カードづかいが荒くなるならそれも持つな、ということも心療内科の医師から提言されているのでどうにかそうならない手を模索するが、自分の支出を見てみると書籍・雑誌や食費に次いでネット通販の割合が高かった。スマホ越しの商品に距離感を見失い、なんにでも手が届く感覚で購入ボタンをタップしてしまうからだろうし、自分がよく見ているゲーム業界やサブカル業界には、マニア向けの商品が毎年のように売りに出されている。

 事前に節制の見通しを立てても、新発売の限定モノという魅力には抗えないもので…………生活費が足りないとブックオフにゲームや本を売るという最終手段も繰り出したが、もともとが安い中古品が多く二束三文で買い取られている。切なくなる。

 正味な話、実家暮らしという環境で甘い汁を吸い続けた長男坊の末路というものを体現している。たとえ親とはいえそれにも限度というものがあって、さすがにいつまでも肩代わりしているのはおかしい、という空気になって来ている。

 冷静に今の収入と生活費・貯蓄のバランスを立てれば、遊ばせておける月のお金は一万円以下である。つまり今の自分は「モノ買う努力」をして出費を太らせている、ということになる。

 むろん借金はしないし、今の負担が軽い労働環境なりの収入で生活していくことを考えていきたい。とはいえそのための手段はネット通販を慎むことと、無理をすれば手が届くという買い方の快楽を禁じる以外に無いが。


「根拠のない万能感でなんとかなる十代は終わった」「社会人として責任の持てる成人に」という自分のモットーとほど遠いのが現実だ。

 30歳成人説……二十歳はたちではなく、そのプラス10歳の年月をかけて大人として成長するという意味として解釈しているが、改めて「大人になる」とはなんなのかを問われると、僕には複雑すぎて答えられない。

 それでも途中式を挙げるならこうだろう。

 僕は未だ理想の大人たり得ていない。身の回りの社会と折り合いをつけることさえもできていない。

 欲深く、子供っぽい。そして無責任だ。

 それでも僕は、僕が生きているということそのものに執着する。29年目のこの道を歩んでいく。

(終)

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