上を下へのジレッタ(5/17夜公演)

※公演中の舞台についての話をします。ネタバレを回避されたい方は、すぐさまウィンドウを閉じてください。






わたしが初めて「担当に据えた」ジャニーズ、横山裕。横山さんのことを知る前からジャニオタにはなりつつあったけれど、明確に「この人のためにお金を使おう、この人のうちわを作ってコンサートへ行こう」と思ったのは横山さんが初めてだ。だからなのか、すっかりエイトの現場から足が遠のいてしまって、新着情報もメディア露出も能動的にはほとんどチェックしなくなっても、わたしは横山さん名義のエイトのFCを毎年更新し続けていた。その名義で、久しぶりに申し込んだ今回の舞台。あまりにも迷いなく申し込んだせいか、普段の自分だったら信じがたいことなのだが、事前情報をほとんど入れずに舞台に臨むこととなった。あらすじもキャストもスタッフも本当にチラッと確認しただけで、パンフレットも終演後に買ったので幕間に細かく確認することもできなかった。だが今回は、結果論だけどもそういう楽しみ方をしてよかったと思っている。

素晴らしい舞台だった。この舞台で自担が主演を務め座長としてカンパニーを率いているだなんて、これ以上に誇らしく嬉しいことがあるだろうか。とても素晴らしい演劇だった。物語の余韻は安っぽい共感やほつれそうな大団円とは対極の荒涼とした静謐を掠めていく風のようで、単に楽しかった、や後味が悪い、などと感情で表現できるものではなく、何かを感じたはずなのにそれがいったい何だったのかはなかなか言語化することができないのだ。その「在るのに無い」感覚はこの舞台で創り出されていた「演劇」という表現そのものへの感動と相まって、いわゆるジャニーズ現場の終演後のざわめきとは少し異なるような興奮を客席にもたらしていた。カーテンコールが終わっても小さな音量で流れ続ける劇中曲への手拍子が止まなかったのは、出演者がステージに再登場するのを期待していたのではなくただただ「素晴らしかった劇中曲がまだ流れているから」だったのだと思う。退場を促すアナウンスが3回入ったところでようやく音楽が消え、手拍子が拍手に変わった。ロビーに設置されたアンケートもつい熱心に書き連ねてしまい、まもなく閉館ですという声掛けを背に劇場を後にすることとなった。その後も2時間以上ひたすら感想を同行者と語り合ったが、まったく興奮が冷めやらなかったし感想が尽きなかった。もともとテンションが高いことでお馴染みなのに、さらにメーターが振り切れるくらいテンションが変な方向に上がってしまい珍しいことに2人とも若干アルコールに飲まれた。いや、あの店絶対ドリンク作る際の分量間違ってるだろ! ビールとかじゃない混ぜて作る系のやつ、何頼んでもアルコールがやたらめったら濃いんだよ! (センター街にある某チェーン店の話です)

ジャニーズを好きになって、「とにかく顔が好き」「美しいということだけで正義」と思ったり発したりすることへのハードルがグッと下がったというかほぼ消滅した。一歩間違えればただの思考停止の呪文になってしまうその言葉を深く考えずにとりあえず使ってしまうこともあれば、本当にひたすら褒め称えたい一心で使うこともあるし、何かを諦めたり目を逸らしたりするために使ったこともある。使う意図は様々だけど、結局この言葉はいわば水戸黄門における印籠のようなもので、格さんの懐からこれが出されたら民衆はおとなしく「ははーっ」と頭を下げるしかない。だが今回の「上を下へのジレッタ」については語り合ったり感動を共有したいと思えるトピックがあまりに多すぎて、印籠の出番がなかなかやってこない。たまに葵の御紋がチラッと見えるのだけど、格さんがすぐに懐に戻してしまう。だいぶムチャクチャなたとえ話をしている自覚はあるけれども、それだけこの舞台は素晴らしいところばかりだったのだ。

まず何よりも楽曲が素晴らしかった。生演奏じゃないのが惜しいくらいの素敵な曲ばかりだった。主に「ゆうがたクインテット」と「どれみふぁワンダーランド」のおかげで宮川彬良という天才の天才っぷりは身に沁みて実感しているのだが、それにしたって天才なのだ。言葉が違和感なく聞こえてくるし、コーラスやオケも足し引きを自在に操って構築されている。曲調も様々ながら全体的にどこか統一された雰囲気がある。メロディーもすっと入ってくるが、わかるぞ、これちゃんと歌おうと思うとものすごく難しい曲ばっかりだ……!

そしてその楽曲たちを活かした、リプライズの演出が見事だった。リプライズって要は「一度歌った曲をまた歌う」ってことなので、明確な演出意図なく多用されると「この場面に使う曲作るのめんどくさくなって流用しただけでは?」ということにもなりかねない。この舞台では何度かリプライズで歌われる曲があるのだが、そこにははっきりとした狙いがあり、リプライズでなければいけない必然性がある。細かなアレンジの違いや歌詞の違いが、ただの誤差としてではなく演出側が伝えたかった意味でもってきちんと観客まで届いてくるのだ。ようやくネタバレっぽい話をするけれど最後のジレッタのシーン、あそこでリプライズを使ってくるのは演出としては王道かもしれないが、ひとつひとつの楽曲の力がすごいので緊張感とラストへ向けての加速感がすさまじい。たぬきそばの歌がたぬきそばじゃなくなった瞬間、もう観客は笑っていられないとわかるのだ。

楽曲の話と合わせて真っ先にアンケートに書いた内容がもう一つある。場面転換をはじめとする舞台美術の巧みさだ。ぶっちゃけパッと見で「金かかってるわ~!」と思ったし実際金かかってるんだろうけど、金がかかってるだけじゃない。一番最初に門前が登場する際のセットは、人の力で簡単に倒したり起こしたりできるハリボテだ。そのハリボテの街並みに込められた、物語の舞台となる世界の説明がものすごい情報量で「見える」。文字情報として与えられるのはほんのわずかで、あとはセットと演出で視覚に訴えてくるのだ。舞台中何度か見られる本物の家具と、手塚治虫タッチの絵のハリボテ家具が混在する空間もずるい。白黒のハリボテは違和感の塊でしかないはずなのに、「この舞台はそういうものですよ」と納得させてしまうのだ。一見変だ、と思ってしまうようなものに笑いや目を引く演出をつけることで、その存在は面白いものになり、観客の中で受け入れられる。その受容を足掛かりに、もっとぶっ飛んだ場面や演出が続いていく。わざと変なことをしてるけど、そこにきちんと演出の意図が見えるから受け入れざるを得ない。山辺が干し草のハリボテを裏に隠れて転がしながら舞台上を移動してくるのも、医者トリオが山辺を隠しながらハケていくのも、証言台を門前が自分で持ってくるのも、あえて不完全さを観客に見せて笑わせている。実際このシーンめっちゃ楽しい。

最近宝塚のレビュー映像を何本か見ていたので、舞台を彩るネオンの枠には見覚えしかなかったし、非日常のエンターテインメント感の演出としてとてもしっくりきていた。背景の映像ばかりに頼っていないのもとても好印象だったのだが、有木足社長が出てくるあの歌の背景映像がAC部っていうかTHERAPYでしかなくて困った。わりと全体的に映像のタッチがAC部だったような気すらしてしまうほどに、THERAPYだった。や、やめて~

虚構であることを感じさせ、コミカルで、楽しい演出。その中でひとつだけ完全に異質な空間となっているのが、あの工事現場なのだ。

門前と山辺がやってきた工事現場には、派手なものが何一つない。手塚治虫タッチのモニュメントもない。そこだけ妙にリアルな工事現場であり、山辺が落ちた穴の中は鉄骨があるだけの更に何もない空間だ。ジレッタの中では様々な人々や小道具が登場してきてステージ中を賑々しく盛り上げるが、現実に戻ったとたんにそこはまた遠くに工事と街の生活音が聞こえるだけの薄暗い空間になってしまう。だからこそラストシーン、門前が絶望と共にジレッタの彼方へと連れ去られていく荘厳な緊張感溢れたシーンが終わると、何もなく誰もいないこの空間に舞台は突然回帰する。門前たちはジュネーヴ、ライン川のほとりにいたのではなかったのか? 結局最後のジレッタは本当に世界中の人間に届いていたのだろうか? もしかしたら初めてこの穴の中に来た時から、すべてまやかしだったのだろうか?

漠然とした不安の中に落とされた観客を突き放すように、「つづく…」の文字が「おしまい」に変わる。ストーリーには救いがない。ハッピーエンドなんかじゃない。けれどこれが確かに、物語の終わりだ。そして不思議なことに、その終わりによってのみ観客は救われたのだ。


いてもたってもいられず、もう一度この「上を下へのジレッタ」を観に行くことになった。わりと「一回観たら満足」ということの多い自分が、一度入った現場に後から追加で入るなんてのは初めてのことだ。この文章ではあえてキャストの話をしなかった。もう一度観た後にその話もしたい。今回はとりあえず、ここで「おしまい」である。

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