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お浄土に参られたあるおっちゃんのこと

慈海宛の手紙が遺品の中から出てきたと、ご遺族の方から声をかけられた。

満中陰もとうに過ぎ、ご往生から半年以上たった今でも時折、お朝事やお夕事のお勤めの時に後ろにその方が座ってらっしゃる気がする時がある。お勤めが終わって振り向いてもやっぱり誰も座っていない。

なんとなくいつも座っていた香炉の前に向かって「どうやお浄土は?」と声をかけると「あんな生ぬるいところいてられんわ」と悪態をつきながらニカっと笑う顔がそこにあるように感じる。

道の駅ができて、吉崎はにわかに賑やかになった。もし今もまだ元気でいらしたなら、道の駅の周りを酔っぱらいながらウロウロして、別院まで上機嫌でたくさんの人を案内していたかもしれない。そして、その方たちの都合お構いなしに、

「おーい!入道!この人らに蓮如さんのこと聞かせてやってくれや!」

と私を呼びに来ていただろう。

人前では調子が良くて、悪ぶっていて、酔っ払いで、めんどくさいおっさんだったけれども、お勤めの時に居合わせると、ちょこんと香炉の前に神妙な顔をして座っていた。そして、お勤めが終わって少し仏様の話をすると自分のことよりもご家族のことを想って涙をこぼされた。「俺みたいなもんは地獄行けばいいけど、あいつらだけはどうかいいところ行かせてやってくれ」そう言って泣かれた。

だから、きっと、せっかくお浄土に参らせてもらったのに、あのおっちゃんは「阿弥陀さん、蓮如さん、せっかくで悪いんやけど……」と言いながら地獄に赴き「何してるんやお前ら!そんなとこでグズグズしてえんと、はよぅお浄土参らせてもらわんか!」とか悪態をつきながら、亡者たちを引きずってお浄土参りさせてらっしゃるんやないかと思う。

そんで、吉崎でお勤めのキンが鳴ると「お!時間やな!」と言ってぴゅーと吉崎まで帰って来て、お御堂にちょこんと座って一緒にお勤めをし、頭を垂れて御文を聞いてらっしゃるに違いない。

そんで、帰りしなに、振り返って慈海に向かっていつものようにこういうのだ。

「おい、慈海君。体大事にせいや。気張りすぎるといまにプッツンいってまうぞ」

へいへい。のんびりやるさ。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

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