そこに愛はあるのか

例えば人間の長い歴史の殆どは
食欲を満たす行為で占められていたし
今でも生活の基本にはなっている。

分かりやすいのは労働をすれば報酬を求めると言う事実
あなたが何事かにエネルギーを費やせば
そのエネルギーに見合っただけのあなたなりの結果を求める。
個人差は有るとしてもあらゆる人間の行動に
当てはまるだろう。

そして得られたエネルギーは必ず発露となる
結果を生じさせずにはおかない。
また消費したエネルギーの対価が得られなかったり
対価が必要以上に大きなものとして帰ってくれば
それが物理的であろうと精神的なものであろうと
不安定な現象が結果として表れる。

しかし心のどこかで世俗的な対価を得られなくても
エネルギーを使うヒトに惹かれはしないか。
少なからず私がそう言う人間であるかどうかは
疑問があると言われてしまいそうだが。

武者小路実篤の小説で「真理先生」と言う作品がある。
十代の頃読んだきりで内容は殆ど覚えていないのだが。
馬鹿一と言う登場人物がとにかく石を描く。
そこいらへんにある石だけを描いている。
それしか無い。それ以外無い。

私はそれ以来ずっと馬鹿一のようになりたいと
思っていた節がある。ただ無垢に石を描くことだけを
考え続ける。そんな境地に一歩でも近づきたいと
今日も唯々悔い改めるのみである。

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