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明けない夜も、あるかもしれないじゃん!

またメンヘラみたいなタイトルになってしまいました~💦

自己開示が課題とよく言われる私は、今回も「ひーーー」という感じでnoteを更新してます。ひーーーー!

 

物事を批判的に検討することが得意なお陰で、何かを信じることに随分と時間がかかるようになってしまいました。

「論理的な考え方をする人だね」と評価される度に、とても悲しくなります。私が論理的になっている時、私の目は時々死んでいることに誰も気付かないんだと思います、時には自分自身も。

論理的であること「それ自体」には、何の価値もなく、あくまで手段、それも数ある中での手段のひとつだと思っています。しかも、やたら正しそうに見せてしまうから暴力的。真実が何かを、見えにくくしてしまう。これは、ただ訓練すればある程度はできるようになるものなんでしょう。

 

例えば、こういうこともありますね。

わかってほしいから、だから論理的に話しているのに、「論理的だね」と切り捨てられること。本当に悲しいですね。本来ならば、この心臓にあなたの心臓を繋いで、丸ごと理解してほしいくらいだったのに。

 

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話が逸れてしまいました。

つまるところ、まだ自分には、論理を使って何を信じたいのかが見えていないのかもしれません。「これは信じるに値するかもしれない」と思えるものはあるものの、まだアクションに落とせるほど確信度がなく、自分に対して疑心暗鬼なままの状態です。

「信じると仮定して、とりあえず行動してしまう」を一旦の解として行動しまくるのを是とすることにしましたが、結局自分が擦り減っている感覚があります。考えてみれば、最初から「信じると仮定する」なんて馬鹿げた話だったのかもしれません。

こういった、斜に構えるような態度をとっていれば、きっと誰かに怒られるんだと思ってヒヤヒヤします。成長を妨げるとか、何とか。そして多分、見捨てられるんじゃないかと思ったりもします。成長至上主義の世の中なので!ひーーー!

 

自分は、自分が無条件に「良い!」と信じられていることならば、どんなに時間や体力を捧げても、ぶっ倒れそうになっても、散々泣いても、生きているという実感の下で動くことができます。そのためにインプットも怠らないし、アウトプットも止めない。そういう瞬間が今までもありました。

そうでない時の自分はかなりタスク型人間で、例えばバイトは「お金を稼ぐため」と完全目的化して、目的を達成するために省エネ化した状態(サボれるところはサボって目的のための最小限の努力をする)になります。割り切って省エネ化しきれていれば、心理的な負担はそんなに感じません。タスク型です。

各方面から「そういうスタンスだから成長機会逃すんだよ!!!何事も本気でやらなきゃ!!!」と言われそうなのですが、それは成長自体を目的化しているのではないかと、若干偏見をもってしまいます。本当に課題を特定した上で丁寧にひとつずつクリアしている人は、その過程を「自己成長」と呼んでいるのでしょうか?

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ぴえん

 

もちろん逆に、「成長を繰り返していれば、気付かないうちに目的を達成できるようになっている」という考え方もあると思います。ボトムアップ的な成長というか、汎用性も高く、生存戦略としてはこちらの方が正しいだろうという感覚はします。

ただ、例えば自己肯定感が低めだったり、懐疑的だったり、「明けない夜も、あるかもしれんよな」みたいなタイプの人間というか、「明けない夜の方が多かったんだが…」という人には、わりとハードル高めな思想なのかなと思います。そうでなくても、不確実性の高い成長よりも、今ここでこの瞬間ワクワクできることを大事にしたいと思う人もたくさんいるでしょう。

「そんなんじゃ社会変えられないよ!」という人ももちろんいるとは思います。でも、感覚的に、そうでもないんじゃないかとも思います。ニワトリタマゴ的な話になってしまうのですが、結局、大事なのは究極目的が達成されるかどうかです。

(ほら、全方向からモテるようにするよりも、惚れた人に対象絞って本気でかかった方が成功率高いじゃん?まあどんな生き方をしたいかに拠ると思う。どんなに頑張ってスペック上げても、惚れた人ひとり落ちないんじゃ人生なんて無だよ、いらないよ私は。なんなら落ちなくてもいいよ!その人が幸せだったら、一生独り身で構わないよ!もーーー!)

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先日、友人に薦められて、「僕たちは世界を変えることができない/But, we wanna build a school in Cambodia.」という映画を観ました。普通に泣いてしまいました。

まずは自分の信じることを、やりたいと思えることをやってみればいいんじゃないかと思います。めちゃくちゃなエゴだけど、エゴがなかったらできない。結果、人を救ってるし、その過程で成長している。

そのほか、お気に入りの映画に「PAD MAN」という映画もあります。これも同様「妻が好き!助けたい!」というひたすらなエゴで、結果的に何万人もの女性を救っています。どちらの映画もノンフィクションです。

上記でいうようなエゴがないならば、それはそれで「とにかく自己成長戦略」を選択していくのが賢明だと思います。エゴがある頑固者は、それに向かって信じたように生きるのが最終的に全体にとって善なのではないでしょうか。大変ですが。

私は、確信めいてはいるけど確信しきれないレベルのエゴなので、とりあえずそれを確かめて成功するか挫折するかを経験したいです…。アクションプランを複数個もつというよりかは、都度修正していく体力の方が大事だと思います。納得度的にも…。

    

「明けない夜も、あるかもしれなくない?」というのは、確かに成長を妨げるかもしれないし、非生産的ですし、限りなく無駄に近いことです。でもそういうことって、これもまた経験則ですが、案外頻繁に起こるような気がするんです。

私にとっては、「明けない夜はない」は不確実性を帯びた事象ですが、「夜明けの空はマジで美しい」は確実です。感情なので。私にとっては何よりも大事です。私はいま、そういう話をしているんです!

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そう考えてきたら、わりと視界がクリアーになってきた気がします。不安はもちろんありますが。

今回は、人に見せられるようなnoteではなく、ただちょっとした反抗心というか、「もーーー!」みたいな感情をまとめた感じになりました。中2からずっと反抗期です。自分でも持て余してます。

もしよかったら、皆さんにとっての確実で、信じられるもの、何かあったら教えてください!

 

てか、海外行きてーーーーー!!!

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