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帰国後 7日目

こんばんは、小野です。

コロナの影響でやむなく日本に帰国してから、早くも一週間になりました。はやいものです。ただでさえ子供たちとお別れしてとても寂しい中、コロナの影響で学校の開始も遅れることになり、虚無感というか、「いったい小野はなにをしているのか…」という気持ちで何もできない一週間でした。

若干燃え尽き症候群ぽい感じになっていて、暇さえあれば子供たちの写真見返して「あ~~~ざみじい~~」という気持ちになったり、みんなで踊ったZumbaの曲流して、飽きたらとりあえずNetflix観て、虚無感に耐えられずお酒を飲んだり。一方で小野はこの種の「余韻」も大事にしたいタイプの人間なので、一週間くらいはこういう期間があってもいいかな~という気持ちです。

桜を見れば「ああこれ先生たちに見せたいな」とか、公園で遊んでいる子供たち見れば「ああ生徒たちはみんな元気かな」とか、ごはんを食べれば「わたし日本のお米よりフィリピンのお米のが好きかもしれないな」とか、空が曇っていれば「フィリピンは毎日晴れてたのにな」とか、渋谷に行けば「ああ先生たち渋谷来たいって言ってたな、いつか一緒に来れたらいいな」とか、なんかもうそんな感じで毎日過ごしていました。6週間ぶりの日本は空気が乾燥していて、もう肌がカサカサです。

そんな中、たまに現地の先生たちが連絡をくれたり、保護者の方が子供たちの動画を送ってきてくれたりします。こういうの本当に嬉しいですね。現在フィリピンは全然おうちから出られず、買い物も満足にできず、仕事もできずという状況らしく、小野はとても心配しています。

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ちゃんとインターンの振り返りをしたいなと思いつつ、観点が散乱していて落ち着きません。なのでnoteは何回かに分けて更新しようかなと。今回は、「できるだけ直感的な感想、生活全般への気付き」を書いていこうと思います。そして今後「6週間で起こった内面的な変化」「研修前に立てた目標の達成度」「これからの人生にどう繋げていきたいか」みたいなテーマで更新を続けようと思います。できるだけ近いうちに。もし「帰国後はこういうテーマで内省するといいよ!」というおすすめがあったら教えて下さい笑

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帰ってきたら日本はもう春になっていました

 

結局どうだったんですか、感想は?

行って良かった。正解だった。というか正解にできた。もちろん大変なことはいっぱいあったし、最後の一週間とかマジ寂しすぎてフラフラだったけど、行って良かった。フィリピンを選んだのもわりと直感だったし、TNに至っては全然自分で決めてないけど、すべて正解だったと思える。やり残しがないとは言い切れない。けど、間違いなく、これで良かった。

 

もっかい参加したいですか?

いや……小野はわりと「人」にコミットしがち人間なので、6週間も一緒にいたら好きになっちゃうんですよね…。別れが寂しすぎるのでできればもう行きたくないです笑
でもフィリピンはもう一度行きたいですね。いつか必ず、できれば在学中にもう一度行けたらいいな…。

 

一番楽しかったことは?

学校で子供たちといる時はいつでも楽しかったです。彼らのためになら、夜通しメッセージカードを作るくらい余裕でした。元々子供は好きなタイプなんですが、国とか障害の有無とか、そういうの関係なく子供は可愛いということを実感しました。

 

一番嬉しかったことは?

noteでもSlackでもうるさいくらい言ってるんですけど、生徒たちが私の名前を呼んでくれたことでした。そのおかげで研修の期間の延長まで考えたくらいでした。まあコロナの影響で急遽帰国することになったんですけど、本当に4/1の航空券新しく取っちゃってました笑

 

一番大変だったことは?

最初の2週間くらいはきついことの方が断然多かったです。noteの更新もろくにできてない時期でした。TNの変更で自分の計画がぽしゃるところから始まり、生徒のこともよくわからず、どのように接していけばいいのかわからず、先生や保護者とも何を話していいかわからず……。全然知らない他の大学の一年生3人と共同生活をするのも普通にしんどい。起きて働いて帰って21時過ぎには寝ちゃうくらいには疲れていました。ひとりでサンミゲルビール飲んで即寝ました。でもその期間を乗り越えてからはマジで楽しかったです。

 

英語は大丈夫だったんですか

いや全然ダメでした。小野はまじで英語がだめで、たぶんこれは高校の英語の授業ほとんど出ていなかったからかと…。受験勉強はしたから読めるけど、中学生レベルの会話が限界でした。とりあえずGoogle翻訳と、文字媒体でコミュニケーションとれるMessengerとかを活用してました。フィリピン人がSNS好きで良かった💦

フィリピンは公用語のひとつが英語なので、本当にみーーんなペラペラでした。最初の1週間くらいはマジでみんな宇宙人かと思うくらい何も理解できませんでしたが、最後の1週間はたぶん8割くらいわかりました。何度「わかったふり」をしてそれっぽい相槌打ったかわかりません。ごめんなさい。まあ今回は英語力向上を目的に参加していないので、よしとしましょう。

 

一番美味しかったフィリピン料理は何ですか

Sisigが好きでした。mang INASALというファストフード店のSisigが好きだった。ありえないくらい油っこいんですよね。Wikiによると、「カラマンシ、玉ねぎ、唐辛子で味付けした豚の頭と鶏の肝臓の部分から作られた」料理らしいです。え、あれ頭だったん?って感じです。他にも美味しいフィリピン料理はたくさんありました。お腹を壊すことも一度もなく堪能しました。

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Sisigです

外の屋台で売ってる料理も食べました。Balutっていう見た目エグい系の卵も食べました。「孵化直前のアヒルの卵を加熱したゆで卵」らしいです。だいぶアヒル感ありました。あと鶏の腸の焼き鳥とか、トサカ付いたままの鶏の頭、鶏の脳みそ、豚の皮の揚げ物などなど。

渡航前は「絶対食べないからな…」という気持ちでいましたが、「郷に入っては郷に従え」だよなあと思い、現地の人が食べろというものは全部食べてみました。

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ビネガーを付けて食べます

 

カルチャーショックはありましたか

たくさんありました。詳しくはまた後日note更新して書きたいと思いますが、大きく分けると①経済、②宗教の二点かと思います。

ひとつめの「経済」については自分のお金に対する価値観をガラッと変えた気がします。この「経済」にはマクロ的な貧困問題と、ミクロ的な個人の購買力の問題が含まれると思います。前者はTondoなどのスラムを見た中で、そして後者は現地で関わった人たちの話を聞く中で感じました。そして小野は障害をもつ子供たちの通う学校にいたので、各家庭の経済力がいかに障害を抱えた子供たちに影響を与えているかという話も聞きました。たしかに日本にも貧困、特に相対的貧困は存在しますが、「お金がない」ということについてここまで考えたことはありませんでした。今後の自分のお金の使い方にも大きく影響すると思うので、また後日更新します。

ふたつめの「宗教」に関わる経験。後半の日曜日は、TNの先生に教会に連れて行ったもらいました。小野はキリスト教徒ではないのですが、初めて会った人が小野のために祈ってくれたり、「神の声にどうやって応えるか」について一緒に勉強したり、ゴリゴリのバンド演奏の中で一緒にキリスト教の歌を歌ったりと、新鮮な経験ばかりでした。
教会の中だけでなく、宗教が日々の生活に染み込んでいると実感する場面は多かったです。学校で朝イチで歌う曲は「My God is so great」みたいなことを永遠と繰り返しているし、手紙やメッセージをもらえばだいたい「God bless you!」って書いてあるし、Facebookのプロフには「God…」みたいなこと書いてあるし、コロナが大変な状況になると最終的にはみんなして「アーメン!」と言い出す。正直こっちはアーメンどころではないんだが…という気持ちでしたが、普段から「人に愛を与え親切にする」「人のために祈る」「感謝する」「自分に与えられた役割を果たす」などを意識するのはシンプルに人生ポジティブになりそうで好きでした。

以前は、毎週毎週せっかく休みの日曜日に朝から起きて教会で聖書読むってどういうことやねん…という気持ちでした。しかし実際に行ってみると、宗教的な繋がりだけでない「コミュニティ」としての役割にも触れることができたと思います。教会の人たち、本当に優しかったな…。初対面なのにすごく仲良くしてくれました…。お願いしてまで連れて行ってもらってよかった。

小野は自分のセクのこともあるので、恋バナになるたびに話すかどうするか…と迷ったりしました。「宗教を理由に反対する人がいる」という事実は知っていたので。でもなんだかんだ最後は「バイなんよね」と話せる現地アイセッカーや先生に出会えて、「要するに宗教云々っていうか、その人の価値観やな」と思いました(あくまで小野の見解ですが)。

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なんか思ってたのと全然違った教会

他にも、「フィリピン人あんま仕事しないな!」とか、「家にカラオケあるってなんやねん、しかも防音設備ないやん!」とか、「マックでライス食べるんかい!」とか、「なんで一杯のコーヒーに砂糖4袋も付いてくるの!?」とか、「ゴキブリって箒で叩いて死ぬんだ!?」とか、「Tシャツと短パンとビーサンの生活、楽すぎるな!」とか、「化粧しても汗かくから最終的にみんなスッピンに戻ってるな!?」とか、「いや自撮り好きすぎか!」とか、「年齢とか体形とか関係なくミニスカでお腹出して歩いていいんだ!」とか、「ファストフードで食べた後のトレー、自分で片付けないんだ!?」とか、「スタバでパソコン開いてるとわざわざ外から物乞いが入ってくるのか!」とか、「でかいホールケーキ持って満員電車乗ってたら周りの人が一緒にケーキ守ってくれた!優しい!」とか、「いや男の人やたら席譲ってくれるな!?」とか、いろいろなショックがあって楽しかったです。

現地のある人が、「みんなフィリピンに来ると『ここに住みたい』って言いだすのよね、私たちは本当に外国に行きたいと願ってるのに!」と言っていました。日本はどうでしょうね。

 

どんな学校で何をしてたんですか

Stepping StoneのMakatiにある学校でした。小野はだいたい4歳から8歳くらいの子のいるクラスを担当しました。一緒に歌って、踊って、一緒にお菓子を食べて、歯磨きをして。工作をする時は、生徒のうしろに座り、手を持って一緒にハサミを動かしたりします。洗濯物を畳む練習をしたり、ローマ字を覚えたり、足し算の練習をしたり、ヨガをしたり、サンドイッチを作ったり、いろんなことをしました。生徒の特徴はそれぞれ異なるので、先生は生徒にあったフォローの仕方をしなくてはなりません。
6週間という期間は、そこでの子供たちの成長を見るにはあまりにも短い時間でした。彼らには、特に時間が必要だから。それでも彼らがヒントなしに「Teacher Kiyona!」と呼んでくれるような状況に立ちあえたのはすごく嬉しいことです。あーーーー寂しいなあ、子供たちに会いたいなあ。

先生たちは、生徒たちの行動をいつも注視しています。中には、生徒が癇癪を起してケガをしたことがある先生もいました。でも本当に本当に愛のある優しい先生たちでした。なかなか生徒に指示が通らなくても、辛抱強く待ち続けます。生徒がタスクをきちんと終わらせられた時や、今までできなかったことができるようになった時、本当に嬉しそうな顔をするのが印象的でした。あーーーー寂しいなあ、先生たちに会いたいなあ。

 

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さて、今日は友人とIKEAに行って、額縁と花瓶を買ってきました。

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自分の部屋が急に明るくなった気がします。

こうやって忘れられないたくさんの思い出をくれた人たちに、心から感謝したいです。写真のPaper flowerは子供たちにもらったもの。メッセージは先生たちから。キーホルダーなどは現地でお世話になったアイセッカーたちから。置き物は保護者のかたから。こんな素敵なものを机の引き出しの中にはしまえない。だから最大限のリスペクトをもって、机の横へ。我ながらめっちゃ可愛いと思う。

 

さっき本屋でタガログ語の本、買っちゃったんですよね…。いやフィリピンロス激しすぎる…。いつか喋れるようになって、また行こう。

 

最後に、日本帰ってきてから一番聴いてる曲を貼っておきます!これ踊ってる子供たちマジかわいいんよね…。


まとまりのないnoteになってしまいました。引き続きまた更新していきますのでよろしくお願いいたします…。

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