「世界の片隅で、火を噴くようにものを書く」 作家紹介② 岩代ゆいさん

こんにちは。文芸部員の百瀬七海です。

今日は私が大好きな作家さんのひとり、岩代ゆいさんを紹介させて頂きます。

世界の片隅で、火を噴くようにものを書く。私の火があなたの心に届き、臓物まで焦がし尽くす。誰も鎮火させることはできはしない。

岩代ゆいさんは、ご自身のプロフィールに、このようなことを書かれています。

火を噴くように。
書くことで、ゆいさんは自分を表現している。
書くことで、ゆいさんは自分を守っている。
書くことで、ゆいさんは自分と闘っている。

私は、ゆいさんの紡ぐ言葉、物語に出会ったとき、衝撃を受けました。
それは、羨望でもあり、嫉妬でもあり、尊敬でもありました。
ゆいさんの書いたものを、いくつも読ませていただきました。
読むうちに、とても怖くなりました。その羨望や嫉妬、尊敬といういろいろな感情に、いつか自分が呑み込まれてしまうんじゃないかなと。

憧れの人に少しでも近づきたいと思うのは、「書くこと」以外にも言えること。
その憧れが、その人に似ていったり、酷似していったり、そういう風に変わってしまうことは、決して少なくないと思います。
私は、私自身を守りたいという意思を強く持っていたから、余計にこれ以上読むということがどんな風に自分が書いていく世界を変えていってしまうのか、私自身を見失ってしまうのではないか、そんなことに怯えながら、それでもゆいさんの言葉に強く惹かれる気持ちには勝てなかったのだと思います。

そして、わかったんです。誰も、ゆいさんのようには描けない。自分をしっかりと持っている人であれば尚更。

それでは、私が選ぶ、岩代ゆいさんの10選です。
本当は、選べない! というほどたくさん悩みましたが、あえての10選ということでご容赦ください。ちなみに、この記事を作成している段階で、ゆいさんの執筆したものは連載中の作品以外、すべて読ませていただきました。

まずは、ゆいさんを知るためにはエッセイから。


自分という存在に、私はずっと特別な意味を見出だすことができずにいました。
私らしいってなんだろう?
自問自答しながらも、私の書くものに価値があるのか、小説家の夢を見て、まだ叶えることができていない私に、価値があるのか、ずっと出なかった答えを、このエッセイを読むことで見つけられた気がします。
私を選んでくれた人は、私だから選んでくれたんだ。
自分の存在する意味に悩んだとき、ぜひ読んでいただきたいエッセイです。


読むということ。書くということ。
人は支え合って生きているように、影響を与え合って生きています。
誰かの言葉に感銘を受けたり、涙したり、時に憤りを感じたり。
何かを読んで、自分で考え、それに対して自分の想いを言葉にするということ。
でも、同じ単語を使ったとしても、どんなに影響を与えたとしても、その文章には必ず自分らしさが存在するんですよね。
読むことで、書きたいことが増えていく。私たちはそんな風に言葉を紡いでいる。その繋がりが好きだし、本当に共感できるエッセイです。


ゆいさんの書くエッセイには、同じ「モノ書き」として共感できるものが多いのだけれど、これは群を抜いて共感できたエッセイのひとつです。
私が最初にゆいさんのことを紹介したように、ゆいさんも周囲の方々に対して同じような気持ちを抱えているのだと思うと、同じ「モノ書き」として安心を覚えました。
嫉妬とか羨望とか、マイナスに聞こえるかもしれないけれど、決してそうじゃない。
自分には書けない世界を描く人に対しての、尊敬という意味なのです。その人になりたくて、その人を目指すのではなく、その人の言葉を受け止め、抱きしめ、自分の想いを綴っていくということ。私もゆいさんには出会った時から嫉妬しています。その美しさに。言葉選びに。世界観に。


出会いの数は無数にあるけれど、それを繋ぎたいと思う出会いを人生のうちにどのくらいすることができるだろうか?
それは人だけではなく、物に対しても同じです。
私は出会うことを奇跡のように思っているけれど、それを繋いでいくのは自分の意思だと思っている。インスピレーションであったり、じっくりと言葉を交わしたり、繋いでいきたいと思う感じ方はそれぞれだと思うけれど、その感じ方を大切にしたい。
私たちは選んでるだけじゃない。私たちも選ばれているのだ。
私と繋がりたいと思う人に、モノに。
出会いを大切にしたいと、あらためて思わされたエッセイです。


寂寥感。物悲しい気持ちや様子のことを表す言葉。
ゆいさんの書く小説は、たしかにどこか寂しさを感じる。芯の強さとともに、どこか心に残る寂しさをどう受け止めたらいいのだろうと思っていたとき、このエッセイを読ませていただきました。

私は「寂寥感のある小説」を読みたくて、それも自分で書いたものを読みたくて、文章を書き続けているのだが、いまだに「これだ」と思うものが書けたことは一度としてない。

このエッセイで、ゆいさんはこのように書かれています。
でも私は、ゆいさんはこの先も「これだ」と納得することはないのではないか? と思うんです。
いつも言葉に真剣に向き合ってるからこそ、現状に妥協はせず、より寂寥感を求めていく。
満足するということは、さらに追求する心を途切れさせてしまうことだと思っているので、ゆいさんにはずっと書きたいものへの挑戦を続けてほしいです。


ゆいさんの長編小説。
全11話ある。この小説を読み始めたとき、読むのが止められなくなりました。早く続きが読みたくてたまらなくなりました。
それ以来私は、基本的にゆいさんの書く連載小説は、まとめて読むことにしています。
複雑な想い、心情、許されない関係、ふたりが見た景色、すべての情景が目に浮かび、声が聴こえてくる小説でした。最終話は有料ですが、ぜひふたりの最後、これからの未来を感じながら読んで欲しい小説です。


素敵な石から、感じたものを小説にしたというこのお話。
まっすぐに人を想い、待ち続ける主人公に、切なくて涙が出てきます。
行き場のない想いを抱えて、見えたものは現実なのか、それとも手にしたものが答えなのか。
この素敵な石から紡がれたこの小説、読んだ後はきっと大切な人を抱きしめたくなります。


ゆいさんの書いた小説には、いつも嫉妬しているけれど、これは群を抜いて嫉妬した小説のひとつでした。
目の前でKojiちゃんの描くイラストを見て書いたというこの小説。
悩み、もがき、歩くことに疲れ、立ち止まり。
それは誰もが通る道であるけれど、立ち止まることなく歩いてしまう人もいる。人が生きていく道、歩いていく道、自分自身を見つめ直すのが立ち止まることなら、廻り道も立ち止まることも、悪いことじゃない。気づかないふりをして、過ぎ去っていく景色の美しさに気づかないよりは、その景色を眺めていたい。
イラストにぴったりの素敵な小説でした。


地球が終わる日は、本当にくるのだろうか?
もしそんな日が、自分の生きている間に起きるとわかったら、私は何をして、何を想って最期の瞬間を迎えるのだろうか?
小説であるのに、まるでエッセイを読んでいるかのように自問自答しました。
後悔なく生きること。きっとなかなか難しいだろう。最期の瞬間がわかっていたとしても。


あまいろの
インクしたため
あなたへと
送る恋文
さよならの音

私が旗振りした企画に、ゆいさんが書いてくださった短歌。
この短さで、最後の恋文を書いている情景が思い浮かび、その音が聴こえてくる一首。
エッセイや小説だけでなく、詩や短歌など、本当に多才なゆいさん。
本当に天色のインクで、手書きnoteにこの一首をアップして欲しいくらいです。




以上、百瀬七海が選ぶ、岩代ゆいさんの10選、いかがでしたでしょうか?

10選といいながらも、これもこれも! と選んで、さらにその中から、以前に私が紹介したことのないものを、という基準で選んだ作品たちになります。

書くことが生きること。
ゆいさんは、生きるために書いている。
でも、そんな簡単な一言で、ゆいさんのことを紹介することはできない。
ゆいさんの火を、誰も鎮火させることはできない。さらに燃えさせることができたとしても、それを鎮火させることはできないのだと思う。

今回紹介させていただいたnoteを読んだだけでは、ゆいさんのすべてを感じることはできないと思います。でも、ゆいさんのことを知りたいと思う、そんな10選になるかなとは思っています。



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