一衣帯水、親と子

このnote、本来はまもなくその幕を閉じる破門フェデリコについて、ひたすらの感謝を述べつつ、宿題を果たさねば!と、書き進めていた。
(なおこの文、いずれにせよネタバレしまくりなので、観劇後に読まれる事を推奨いたします)

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先ほど述べた宿題とは、先日のアンケート。2位となった「どこまで史実?」についても、「そこそこ話す」と書いた。

https://x.com/noanswerbutq/status/1830964630845637088?s=46&t=XS0-NT6T69MyKEuTX1X8cg

でも。
そのとき。
あのあまりにつらいニュースが。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240919/k10014585361000.html

僕は学生の頃から、中国の歴史、特に美術の歴史を学んできた。日本その他の美術と優劣は論じない。ただひたすら、王朝の、そして市井の、生み出した美術の途轍もない技巧と、醸し出す伝統の厚み、それでいて創新し続けるクリエイティビティと、無駄はなくしかし観る者をどこまでも推理にいざなう合理性とに惹かれて来た。それを生み出した歴史にも興味を持ち、史記を筆頭にした史書も読み漁った。やがて本当の大陸が見たくなり、はじめて訪れた。2000年だった。
子供の頃からテレビで観た、無数の自転車の中国は、ギリギリまだそのときはあった。圧倒された。でもそれ以上に、そんな見慣れた風景を後ろから突き上げて取って代わろうとする、圧倒的な変化の波を怒濤の如く感じた。テレビの仕事を選んでからは、学生のころの蓄積もあるから中国でのロケが多くなる。アメリカ、イタリアと並び、50本ずつは作ったと思う。街は訪れる度に姿を変え、不景気な日本とは真逆でキラキラギラギラとした街。そのエネルギーに当てられながらも、取材相手(その多くは考古学者だ)の取り組むプロジェクトの面白さ、含蓄の深さ、何より、海の向こうから来て取材しにくる僕への優しさに包まれて、訪れ続けて来た。

だが、あの事件を受けて。
僕はあれだけ行きたくてたまらなかったかの国に、
そうでは無い感情を抱いていた。
それだけ、子どもが犠牲になったことが、重く重くのしかかった。

それでも時は進む。
これを書いているのは2024年9月20日の朝。
明日には、たいせつな大切な、「破門フェデリコ」のラスト2日間が久留米ではじまる。

そして思った。国への感情、そして親と子。
それはフェデリコの時代から800年経った今も変わらないもの。最初のお題(「どこまで史実?」)について書くのはまたいずれとして、このことについて、書いておきたいと。

※noteは予算低下極めるテレビへのささやかな抵抗として書いているので有料にしているが、この文は最後のおまけのところ以外は無料にしようと思う。

一衣帯水

十字軍をテーマにした破門フェデリコ。
キリスト教もイスラムも日本では最大信徒を持つ宗教ではないので馴染みが薄いかも知れない。
けれどたとえば9.11の時、アメリカのブッシュ大統領は事件から5日後に「十字軍だ、続くぞ」と息巻いた。

そのくらい、キリスト教徒には根深く刻まれた十字軍。劇中、最初の十字軍のことをカーミルが語るシーンで登場する兵士のあまりにおぞましい叫び、

教皇さま 我々は敵を見つけ次第殺しました
奴らの穢らわしい血で馬の膝まで浸かったほどです

破門フェデリコ、影1兵士の台詞

これは、史実だ。第1回十字軍の長官ゴドフロワ・ド・ブイヨンが、教皇に送った手紙にあった言葉をほぼそのまま引用したものだ。およそ聖なる軍の長が、聖職者の長に送るとは思えない、手紙。
敵を殺すべきもの、絶対に自分とは相容れないものと考えた時点で、人はここまで至る。
これは、現代の隣国の関係でもそうだ。互いの醜いネットが「殺す」「死ね」と軽々しく殺意を口にし、それを取り締まりもしない。あまつさえ上に立つ者が、敵意をあおることすらする。アメリカとメキシコ、ロシアとウクライナ、そして日本と、海を挟んで隣り合う国々。

―――だが、友愛は、ある。
いつも、忘れられてしまうけれど。ある。

たとえばこのニュース。

山や川は違っても、風や空は同じ。
そんな長屋王が唐にいた鑑真に袈裟を贈った際の漢詩が、コロナ禍初期、日本から中国に贈られた支援物資に添えられた。
このことは、このこと自体より、それに反応したたくさんの中国の知り合いの考古学者たちから感動として届いた。僕は募金程度はユニセフや国境なき医師団にしたけど、物資を送るようなことはしていませんよ、と返事したら、いや、心は届いている、と返された。そこには必ず、この言葉が添えられていた。

一衣帯水

意味は、「水を帯びた衣がぴたりと張り付くように、離すことは、できない」ということ。
そう、どれだけいがみ合おうと、嫌おうと、国や地域、地図上の位置は変えられない。近い以上は、重なった以上は、どちらかが消え去るまで侵略するか、高い違い壁を築いて干渉できぬようにするからもしくは、、、、手を握るしか、ない。

フェデリコという人は、中世の人だ。
あの時代なら、侵略(十字軍は侵略戦争だ)か、壁(万里の長城)を選ぶ方が当たり前だ。言葉の通じない者、違う神を信じる者は悪魔とみなしていたのだから。一幕でハインリヒが苛立ち続けるのは、彼が決して愚かだからではない。常識を守り、ひいては国を守るための決断だ。あれはあの時代、正しい。
しかしフェデリコは3番目の選択肢をとった。
当時としては全く正しく無い、しかし、人としては圧倒的に正しい選択肢を。

―――あの事件に、心が遠ざかっています、と正直に、中国にいる共に何本も番組を作った相棒ディレクターに伝えたら、「阿部さんだけは遠ざからないで欲しい」と懇願された。「中国でもあなたの番組は海賊版で大人気だ。あなたの作るもので、どれだけ多くの人がお互いの国を知り、知ろうと思えたか」といつも過剰に褒められ、いや海賊版はダメだろと苦笑いもしたり、大酒を共にかっくらって来た彼。そんな彼の懇願のメッセージをどう受け止めるか決められないくらい、事件に対する気持ちはまだ混乱しているけれど、少なくともちゃんと、返事はしないとならないと思う。

親と子

大阪公演は良かった。本当に良かった。
舞台上で起きた奇跡。

そして、1週間近く滞在したお陰でたくさんのキャスト、スタッフの皆さんと話せた。お酒も酌み交わせた。
陛下にお連れ頂いた、とてつもない経験。いつもいつも途方もなく気遣いの方だ。いつまでも僕の天使のような方だ。
皇子の好きな酒はすっかり覚えた。その笑い声と、真剣な語りとのギャップは、これはやられる。共にいたくなる。
猊下とはキツい酒をグイグイと。あんなにお酒と鉄道に造詣が深い方はいない。
スルタンとは劇場への道も共にし、素敵すぎる大人のお店でご馳走にもなった。
イザベルやベナリーボやファラディンとも、若き影の皆さんとも、大いに話し、飲んだ。時を共に過ごす喜び。それがあの舞台上の奇跡にも繋がっていたように思う。勢い余ってこんな仕事がしたい、あんな仕事が、と夢も開陳した。作家と言う立場を皆さんリスペクトしてくれて、セリフのこともたくさん話した。

本作でどうしても書きたかった、いや、書いているうちにこれを書かねば、と突き動かされた台詞がいくつかある。先日、その中でもとびきりのものを、ふとした飲みの席でご出演のある方に激賞されて、僕は人目もはばからず涙した。(あまりに大切な経験過ぎて、誰に、何を、は書きません)

本作のテーマは一言でいうと?と聞かれたら
僕もあまたの才人作家たちのマネをして
「ひとことで言えないから作品にしたのです」と答えたいところですが、半身たるテレビディレクターの身がそんなカッコつけは許さず、答えるとすれば。
それは、「戦争と平和」そして「親と子」だ。
このふたつのテーマは密接している。
平和にしたいのは、子を戦争に送り出したく無いから。
多くの戦争指導者が自分は安全な都にいて、親族もそうだったり異国で保護させたりするのが多い中、十字軍という戦争は、「王が最前線に立つ」戦争だった。王よりも皇帝よりも上、神が望む戦争だから。

本当の歴史上のフェデリコ2世がどう思ったかは書かれた資料が無いので分からない。でもこの「破門フェデリコ」という物語においては。
最後に階段のところで叫ぶベナリーボのことばにも描いたように、

愛されているのはお前だった!
フェデリコはお前が愛しくてたまらぬのよ

ベナリーボ、破門フェデリコ

フェデリコは最も愛する者を戦場に送りたく無いから、平和を希求したのでは?と考えて書いた。
平和というとてつもない目標は、そのくらい個人的な熱(愛と言い換えても良い)を持たないと、挫折した時にすぐ諦めてしまうものではないかと思ったからだ。

あの、中国で起きたいたましい事件。
中国の人が、追悼の花束を捧げていた。


「対不起」というのは、謝りたがらない中国の人にとってほぼ最大限の謝罪だ。花の少なさを揶揄する言も散見したが、いま、かの国でここを追悼しにゆくことそれ自体のあやうさを思えば、これでもギリギリの多さとも思う。
それ以上にこの弔いに目を止めさせられたのは、添えられた「孩子」ということばだ。
孩子は、子ども、少年、という意味。
だがかの国を旅するとよく聞くのは、親が、自身の子どもに対してかけることばとしての孩子だ。

それは、「おまえさんや、」「ねえ我が子よ」
というような、聞いて欲しい時の呼びかけの言葉。
この弔いは、ただ死を悼む以上に、我が子へ呼びかけるように、詫びている。
―――誰の代わりに?
それは、言わずとも分かるだろう。

劇中、フェデリコは、親しくなったアラブの商人が、十字軍に息子を殺されてから話してもくれなくなった、と語る。あれはシチリア、つまり彼が10代前半の時の話。その数年後に、ハインリヒという長男を抱いた彼は、この子を守りたいという願いを抱いたとき、商人の子どものことを思ったのではないか。そして、すべての、親と、子のことを。
すべてを守るには、戦争を、止めるしか、ない。
フェデリコにとっては、ハインリヒを通じて民が皆、「孩子」に見えたのでは無いだろうか。

呑気な解説を書くつもりが、あまりに悲惨な時事に打ちのめされて、こんな文章となった。でも、あと3日で終わる公演。はじめて観ていただいた方、何度も観て頂いた方の「今」には届くと思って、書いた。

最後に、おまけ。
本当はフェデリコが言いたかったはずのことばを、
ある人物に託した。そのことばこそ、あの孩子に本当は届けたかったことば。もう届かない、ことば。

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