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壁に記すことと、本に記すことと。

火山の噴火で1日にして消えたポンペイの街は、訪れた者にあまりに多くのことを思わせる。ただ、あまりに有名な「観光地」でもあるから、あまたの本や番組で行く前に知り過ぎていて、崩れた家や、逃げ遅れた人々の形・・・悲惨な爪痕の多くに、かなしいかな、既視感を抱いてしまうこともある。

そんな中、ふいに見かけて強く心打たれたのは、壁に記された「言葉」たちだった。当時行われた選挙のポスターであったり。あるいはほんの些細な「誰々が来た」とだけ書かれた落書きであったり。その言葉たちは、いつか消されても構わないと書いた/書かせた本人も思っていただろうに、噴火という事件によってたまたま残ってしまった。だからこそ、あまりにその時の「空気」を切り取る力を持っていた。いわば、「刹那の言葉」。だからこそ、「その時」を伝える言葉。

2000年前、広告や、選挙ポスターもあった。人のやる事は変わっていない。
現場の人が建築中の記録的に記したというメモ。(じつはここに記された日付が、ポンペイの最後の日の歴史をガラリと変えることになる。以前番組でそれをテーマに作った)

そしてポンペイには、もう1つ異なる種類の「言葉」もある。書かれたと言うよりも、刻まれた言葉。碑文や、モザイクで表された言葉だ。ここが誰の家である、ということや、「しっかり働け」と人生訓を記した言葉まで。あの当時の古代ローマは栄光の絶頂の時代にあったから、きっとかの国の人々も、ローマは滅びず、この言葉も永遠に残ることをどこかで考えていただろう。さきほどの、刹那の言葉とは違う、いわば、「永遠の言葉」。ずっと、読まれ続けることを意図している言葉。

SALVE LUCRU=お金よ来い!さあ働こうぜ!・・・という意味らしい
猛犬注意 

刹那の言葉と、永遠の言葉。言葉には、2種類の言葉がある。
そのことを、ぼくはある場所を訪れて、4年ぶりに思い出した。

春のぬくもりのもと。

「櫻井翔 未来への言葉展 SHO SAKURAI:  WORDS FOR THE FUTURE」。

昨年(2022年)、「デザインミュージアムジャパン」という番組ではじめてご一緒させて頂いた、嵐の櫻井翔さんの展覧会。
番組のロケ、そしてスタジオ収録の際に、番組を未来へ、広がりへと導いてくださった櫻井さんの言葉。

デザインされていないものはない

櫻井翔さん「デザインミュージアムジャパン」、2022

 作るのは大変かもしれないけれど、使っている時の合理性を考えている

櫻井翔さん「デザインミュージアムジャパン」、2022

モノを通して、人の温度を感じる

櫻井翔さん「デザインミュージアムジャパン」、2022

3つだけ挙げたが、あと100個挙げろと言われてもできるくらい、豊かな言葉に導かれて作る事ができた番組。多くのデザインは色と形、そして質感と実感で表現しているので、その魅力を画面を通じて伝えるには、特に「質感と実感」の部分で言葉の力をお借りする必要がある。櫻井さんは、佐渡の宿根木集落を訪れた旅の実感を、そしてスタジオで見て触れたデザインの質感を、誰とも同じではないオリジナルな言葉をあふれ出させながら、同時にそれを誰にでも分かるようにつむぐ、という離れ業の言葉で伝えてくださっていた。山形の緞通を素足で踏まれての触感や、ラグビーのジャージーがどれだけ機能的にできているかなど、あの櫻井さんの言葉以上に的確に伝える言葉はなく、しかしあの言葉は練習された言葉ではなくその場1度きりで生まれたものであり、なんで1発でそんな豊かに完璧に伝えられるのか、と私はもちろん、スタッフ一同唖然としていた。

それは、カメラが回っていない時も。
スタジオの複雑な作りゆえに段取りも多く、櫻井さんとゲストのデザイナーお二人を少しお待たせしてしまったりする時間も多かったあの番組。
しかし櫻井さんは、ご本人のデザインへの強い関心好奇心もあって、とはいえ、デザイナーお二人、そしてスタッフたちに常に話しかける。場を紡ぐ。一瞬たりとも「誰待ち」感を出させない。
本来は僕や局のプロデューサーの役割であるのに、その言葉のあまりの温かさとちょうど良い速さに、すっかりおまかせきりにしてしまった。
カメラが回っている時=記録される=永遠に残るかもしれない言葉と、
カメラが回っていない時(収録の隙間や打合せ)=その場の空気に作用する=刹那の言葉。その両者の言葉とで、全く違う、しかしその豊かで優しいお人柄と、積み重ねた力と経験ゆえに、両方の言葉とも、周りの全員をとことん魅了しきった櫻井さん。

たった1度の番組でもそのことに圧倒され、一緒に仕事させていただく多幸感に包まれた。1回の番組だけではないこのプロジェクトの「船長」に櫻井さんをお迎えできたことを、船員として喜び、「アイアイサー!」と言わせてくれる言葉をまた聞きたい、と言う思いで、番組が終わったあともずっといた。
そんな櫻井さんの言葉を、今回は、「展覧する」ことができると聞いて、心躍って、六本木の会場へ向かった。道すがらの電車の中、どこかの会社の新入社員たちが移動するのと同じ車両になる。「このあと、●●さんにあいさつするんだって」「えーあの人に憧れて入ったんだよ何を言おう」「マジで緊張するけど、仲間として喋らせてくれてうれしいね」送り送られ、迎え迎えられ、はじめましてとよろしくおねがいしますのその先にいくつもの思い溢れる言葉がつもる、言葉の季節、春。まさにふさわしい時期に開かれる展覧会へ。

この先は撮影禁止。言葉は撮影するものではなく、覚えるもの、刻むもの、記すもの、語るもの、忘れないもの、忘れても芽吹くもの。

このnoteは、本来書くつもりはなかった(おこがましいと言う思いで)けれど、展覧会を見た興奮で、移動の電車の中で一気呵成に書いたもの。だけどここまで(まだ展覧会のことは何も書いていない)ですでに、2500字を超えてしまいました。そのくらい、すごい展覧会でした。
この先は、まだ訪れていない方、これから見るのを楽しみにしている方のために、あえて有料にしてくぎりますが、先行して一言だけ申せば、まさに「刹那の言葉」=この会場に行かなければ感じられない言葉と、「永遠の言葉」=この展覧会の会期が終わっても永遠に残る言葉との、その二つの言葉に包まれる展覧会。会場はほぼ女性だけの中、ひとり男性として歩きつつ、ひたすら僕はマスクの奥で声にならない声で言葉を読み、言葉をかみしめ、言葉を浴び続けていました。

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