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Viva!Video! 久保田成子展をみて

東京都現代美術館でひらかれていた「Viva!Video 久保田成子展」を観た。
現代美術にそれなりの興味はあり、開催地である美術館にも何度か足を運んだことはある。今回の久保田成子について、重要人物であるマルセル・デュシャンやナムジュン・パイクについて、またそもそもヴィデオアートについては何の知識も持ち合わせていないのだが、女性作家としての表現や生き方なんかに感じるものがあるのではないかと今回の展覧会に行くことにした。
 
◇ヴィデオ作品をみて
冒頭、「Video is the window of yesterday. Video is the window of tomorrow.」という文言から展示がスタートする。前半は久保田の芸術家としての歩みや出会った仲間に関する資料が並んでおり、彼女を知らない私でも彼女がどんな作家であったかを知ることができた。後半は彼女のヴィデオ作品、また象徴とも言えるヴィデオ彫刻作品が鑑賞できた。
まず印象に残ったのは〈ブロークン・ダイアリー:私のお父さん〉というヴィデオ作品。久保田が、がんで余命幾ばくかの父と大晦日を過ごす様子を記録した映像だ。自宅の居間で横になる父、途中で映るテレビには、紅白歌合戦のザ・ピーナッツなどの歌唱シーンが流れており、撮影された当時を感じることができた。映像は途中切り替わり、父の死の直後、久保田自身が涙するシーンもあった。冒頭の文言に照らし合わせるとしたら、大晦日のシーンが[昨日:過去]を映し、久保田の涙のシーンが[明日:未来]だろうか。涙からはやがて別れの悲しみを乗り越えた姿を想像することもできる。
始めは、たんにホームビデオのようなもので、スマホが普及した現代では珍しい映像ではないように感じてしまった。しかし、ビデオカメラが一般に普及する以前に撮られたものであり、その意味だけでも貴重な作品である。またそのせいか、つまりカメラに映る経験が少なく「撮られる」意識がないせいか、父はまるでカメラなどないかのように自然体で、妙なリアリティがあった。長く観ていると、カメラの微妙な動きから、久保田自身の父へのまなざしや、父と過ごす時間の愛おしさのようなものまで想像させられた。これは最後の思い出に父を映しただけの作品ではなく、父とその死を通じた久保田自身を表現した作品とも理解できた。
 
最後に展示されていた「セクシュアル・ヒーリング」という作品もそれに似ていると言えるかもしれない。脳梗塞を患ったパートナー、ナムジュン・パイクのリハビリの様子を映した作品。患者に必ず若い異性をあてがうというリハビリ施設で、パイクが若い女性ふたりに肩を持たれながらトレーニングする様子が、赤裸々に、しかしどこかポップに切り取られている印象だ。これは、愛する人が病に冒された悲しみや、リハビリの苦悩や不安、またパイクに近寄る女性への嫉妬を昇華したもののようにも思える。ただのリハビリドキュメンタリーではないのだ。
 
◇ヴィデオ彫刻の味わい
展示の中には、親交のあったマルセル・デュシャンの作品をオマージュした作品も数多くあった。中でも〈デュシャンピアナ:ドア〉というヴィデオ彫刻作品に心を奪われた。展示室の角にドアがあり、中へ進むと人ひとりが入れる大きさの部屋がふたつ続いていて、備え付けのモニターにデュシャンのヴィデオ(?)が流れているというものだ(画像と音声?この辺り知識なくはっきりせずすみません)。作品をただ一人だけで鑑賞できる仕組みが面白い。部屋の中の狭さや暗さがモニターへの集中を促すとともに、不可解な音声も相まって不気味さを感じさせた。不思議の国のアリスの世界のような、わくわくとした高揚感と若干の不安が心地よかった。部屋の中にいる短い間に、外の世界が変わってしまうのでは?扉を出たら全く別の場所へたどり着くのでは?と深く没入した。
このような扉を開いて中へ進む体験や、その中で味わった感覚のおかげで、ヴィデオを単体で鑑賞するのとはまた違う印象を与えられたと思う。ディズニーランドのシアターなどで、ストーリーに連動して客席に水しぶきが飛んできたり、いい匂いがしたりするのと同じように、外部情報が少しあるとより想像しやすいし、より記憶に残りやすいと思う。こうして私の記憶に残っているのも、あの扉があったからだ。これをデュシャンのファンが観たらずっと面白いのだと思うと少しもったいなく思えた。
 
〈韓国の墓〉という作品も面白く、ヴィデオ彫刻のなんたるかが分かった気がした。パイクと共に彼の実家の韓国を訪れた際の映像を、韓国式の墓の模型の所々に映し出した作品だ。モノクロの映像だけでは表現しきれない、旅の思い出や墓を発見した衝撃なんかが伝わってくる。
他の展示の中に、「ヴィデオは時間のアートである」という言葉があった記憶がある。この〈韓国の墓〉は、流れている映像が過去を表したものであるのに対して、墓の彫刻が照明や映像を反射してきらきらと光り、今現在の時間の流れも感じることができる。映像と彫刻を組み合わせることで、ふたつの時間軸を感じられて、より立体的に捉えることができた。
 

〈韓国の墓〉


◇人々への愛の表現
展示前半で久保田の書いた招待状やバースデーカードなどが資料として展示されていたのだが、シンプルでありながらそれだけでひとつの作品とも思えるような仕上がりで驚いた。後半観た作品中に「Love is Airmail」というフレーズを見つけて、久保田が身近な人とのつながりを大切にした人物なのだろうと想像した。全体を通してみても、久保田が多くの人と関わりながら生きてきた人物なのだと分かった。ニューヨークへ渡る際も友人と一緒に、現地でも知り合いを頼りに生活していたし、作家仲間と生活を共にしながら、共同でも様々な作品や催しに取り組んでいたようだ。今回展示されていたヴィデオやヴィデオ彫刻作品も、家族や友人との様子を撮影したものが多かったように思う。〈デュシャンピアナ〉の作品群も、デュシャンと親交があったことは勿論、デュシャンの作品への愛が募って作られたものなのだろう。
 
女性作家という視点で見ると、久保田は日本で活動を始めた頃から(没後の現在に至るまで)女性故に評価されにくいなどの苦悩があったようだ。仲間の助言で行われた「ヴァギナ・ペインティング」は、当時フェミニズムの文脈でも評価されたとのこと。広告や写真で部分的にしか見られなかったが衝撃的だった。他にも挑発的な作風のものも多くあり刺激を受けた。
 
スマホを持ち、簡単に映像を撮れる世界を生きている私である。せっかくなのだから、もっと身近な人々や出来事を撮影して愛を表現してみたい。

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