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ミレニアムに沸いた2000年 我が身に生じたY2K問題

 学生時代は筋肉質で引き締まった体つきだった。特別にウェイトトレーニングをしていた訳ではないけれど。
 同じ学科で仲良くなった連中とテニスサークルに所属していた。使っていたラケットは、カーボンフレームの軽量ラケットが全盛の時代に、譲ってもらったYONEXのアルミ製のラケットを使い続けた。体つきが筋肉質だったため、「フレームだけじゃなくガットまで鍛造なんじゃないの?」とか言われたり。

 就職し、小学校から高校まで過ごした新潟に配属された。会社は通っていた中学校の側、寮は通っていた高校の側という偶然。中学生だった時、帰宅時に帰る方向が違う友人と交差点毎にじゃんけんし、勝ったヤツの帰る方角に向かうという遊びをしていた。その時、就職した会社の側を通っていたのだが、数年後、再びこの場所に来ようとは思いもしなかった。

 自衛隊の基地がそばにあった 出張先では自衛隊員に間違われたりもした。どんなに違うと言っても信じてもらえなかった。こんな容姿だったら仕方ないか、人は見た目が90%だか100%だとか言うし。

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こっぱずかしいので少し加工

 それから年月がすぎ、毎日毎日、美味しい米と酒を喰らうものだから身体は順調に育った。気が付けば、世間は21世紀が目前に迫りミレニアムでわき上がるなか、わが身には未知の領域である大台が目前に迫り焦りでわき上がっていた。コンピューターにはコンピューターの、自分には自分のY2K問題が生じていた。


 このままではダメだ…。そこで、身体を絞るために、当時身の回りでブームだったトライアスロンのなかから、出来るだけ身体に負担のない自転車に乗り始めることにした。財政には最も負担が大きかったけれども。そして、身体よりも財布の紐が絞られたのだった。

 

 自転車に乗り始め、やがて21世紀の幕が開いた。
 記念すべき2001年の巳年の年賀状がこれだ。ミレニアムの"ミ"の字も感じられない。感じられるのは干支の"巳"に掛けた駄洒落だけ。デザインも摺りも甘過ぎる😅
 

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