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No.6は三度死ぬ

"死ぬ"は言い過ぎたが、少しタイミングが遅ければ、命を落としてもおかしくなかった。そんな事故に遭遇した経験がある。

一度目は小学生の頃だったと思う。鬼ごっこをしていたのか何なのか。とにかく、懸命に走っていたことだけは覚えている。そして、その勢いのまま丁字路へ突入した。

その結果、車と衝突する事故となった。幸い、衝突した場所がフェンダー部分だったため、打撲と擦り傷程度で済んだ。

ほんの少し飛び出すタイミングが早ければ、確実に車の下敷きになっていただろう。

後ろを走っていた姉の話しによれば、"膝から崩れ落ちる"を体現していたとの事。

ニ度目は大学生の頃。原付に乗って買い物に行く途中だった。

大きな交差点を右折するため、前の車に続いて停車していた。信号が右矢印に変わり、何の疑いもなく前車に続いて発進した。

気がつくと、左側に直進してきた車がすぐそこに迫って来ていた。衝突を避けようと、咄嗟にハンドルを左に切ったのと、発進がワンテンポ遅い原付のお陰で、またもや下敷きにならずに済んだ。

立ちあがり、直進してきた運転手に向かって「何やってんだ」と言ったものの、頼りない記憶しかなかった。

そこに、自分の前に停車していた車の運転手が現れ、現場検証に立ち会って証言してくれた。

聞くところによれば、原付から投げ出された後は、しばらく気を失っていたらしい。その衝撃で、信号待ちをしていたところから立ち上がるまでの記憶を喪失したのだろう。

証言してくれた理由を尋ねると、直進車両が赤信号でも止まる気配がないスピードだと感じ、もしかしたら…と思って後ろを気にしていたとの事。

その事故以降、"かもしれない"運転を心がけるようになった。そして、同じような状況に遭遇した場合、この人のようにしたいと思った。

三度目は社会人になってから。小学三年生に群馬県は高崎から新潟に転校し、それから10年間を過ごした新潟に配属された。

両親は名古屋に家を建てて移り住んでいたため、社員寮から出勤することとなった。寮に住んでいた先輩に、イタリア好きの夫婦で経営するスナック連れていかれた。そこで、ブランデーとカラオケにはまり、夜な夜な飲みに通っていた。

お店に行けばクローズまでいることがほとんどで、帰りは店から1時間近くかけて歩いて帰ることが多かった。

いつものように歩きで帰ったある日、眠気に耐えきれずに眠り歩きをしてしまった。右に左にふらふらと歩き、目が覚めて気がつくと、時には、道路の真ん中で立ち止まっていたりもした。また、足裏の感触で目が覚めて周りを見渡すと、背後には人がやっとすれ違えるほどのガードレールの隙間を通り抜けていたことに気づいて眠気が覚めたこともあった。

そして、ついにその日がきた。あと少しで寮に着くという時、今度は強い衝撃を感じて目が覚めた。状況を確認して驚いた。車と正面衝突したのだった。幸いにも路上駐車中の車だったため、下敷きになることはなかった。

状況が違っていたら、確実に命を落としてもおかしくない事故や、行動をしたにも関わらず、運よく回避して生き残ってきたものだ。

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