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ものがたりは「語られない」ことの中にあると思う

男が店から出てくる。女の子が後からついてくる。手に赤い花。

そういえば先週は母の日だったな。


自分が体験した出来事を「出来るだけ少ない情報で、物語がつくれないかな」と思い、4コマ漫画風に4センテンスストーリー(?)を書いてみました。

私を含め多くのひとにとって、母の日の赤い花といったらカーネーション。あ、カーネーション持ってるんだなと分かる。男と女の子は親子なんだなと分かる。でも、この出来事って、母の日当日じゃないんです。

なんで当日じゃないの?お母さんに会えない事情があったのかな?どういう経緯でカーネーションを買いにいくことになったんだろう?

そんな想像を私は膨らしました。


で、こんなのを書こうと思ったのは、この物語を知ってから。


“For sale: baby shoes, never worn”
「売ります。赤ん坊の靴。未使用」


ヘミングウェイの「世界一短い」と呼ばれる物語です。

私がこれを知ったとき「少ない言葉でこんなにも物語を想像をさせることができるのか…!」と感動しました。

ちょっと誰だったか忘れてしまったのですが、有名な外国の作家さんの幼少期には、絵本の読み聞かせをされるときには「あえて最後まで読まない」ということをされていたそうです。それによって、物語を想像する力が養われていったと。

語りすぎることや、あまりに機能的・説明的で、それ以上でも以下でもないような言葉、もしかしたら考える余地をなくしてしまうのかもしれないです。

便利で、誰もが発信者になることができる時代だからこそ、私はキラキラとした「語られる物語」よりも、一見どうでもいいけど大切な「語られない物語」に目を向けたい。

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