真実の盗撮事件簿 十六 和歌山から全国へ 

 私は黒木氏と最初に約束した「動きを止めないで目標を持って戦っていこう」との約束通り、業務の合間をみては盗撮被害に関する解明調査を行っていた。
「被害現場の特定」
「被害者の割出」
「防止対策方法」
「激化する状況と法整備の必要性」を軸として展開し、被害者保護と救済を目的とした「盗撮犯特定情報」を自己のカテゴリーとして調査活動を実施することとした。調査活動は問題ないのだが、問題は訴求方法である。
 
 和歌山とその近郊都市で繰り広げられている盗撮犯罪撲滅に向けた活動を「全国に向けた盗撮防止を訴える活動」と広げること。
 
 口にするのは簡単なことなのだが、今までしてきた活動を全国に向けて展開するとなると、想像以上に大変である。

 私達の活動を知らない方に理解を求める為には、それ相応の活動展開が必要となる。活動展開するには、莫大な調査費用の捻出が身近な問題として発生する。

 私達が実施している活動に賛助してくれる企業はなかった為、すべて自己負担である。

 今までしてきた身近な活動でも、巨額の費用を要したのだから「それを全国展開するには・・・」実はこの時点で二千万円近い費用を捻出していた為、全国に向けてとなると気が重くなる。

 極力費用をかけないで私達の活動を全国に向けて展開をするには・・・黒木氏の口から出た一言は
「平松さん、ホームページを作るのは?」
一見簡単な様だが、スキルがない私にとって簡単な事ではないし、また見様見真似で出来るモノでもない。

 日々の業務に追われている私にとって、ホームページを作れる時間は、少ない睡眠時間を削るしかなかった。

 少額で自己の責任の範囲内で全国に向けて配信するメリットを考えたらいいのだが、過去何度もホームページを作ろうとはしたのだが、挫折している。内容が内容だけに、業者に任すこともできない。

 私達が感じてきたこと、思いのすべてを自分で作るから伝わるのだと、過去の経験で感じてきたから、自身で作るしかなかった。そこで数名の友人にホームページ作成について聞いたところ「今はソフトが充実しているから、それ程難しくないし、お前なら出来るよ」という無責任な言葉に背中を後押しされる形でホームページ作成ソフトとマニュアル本数冊購入し、その日から製作に取りかかった。

 私の中での構想は「被害現場の特定」「被害者の割出」「防止対策方法」「激化する状況と法整備の必要性」と決まっていた。

 私はホームページを通じ、盗撮問題が如何に酷い現状かを伝えたかった。コンテンツの製作には本当に悩んだ。
 
 犯罪の証拠である盗撮ビデオをストリーミングして流すのが最も酷い現状を伝える事ができるというのは分かっていた。ただそれをすれば、他の盗撮垂れ流しサイトとなんら変わらない。

 ましてや出し方一つで別の問題にも発展しかねない。如何に個人のプライバシーを保持しながら、猥褻な部分と特定されないようにするかについて、黒木氏と何度も協議した。

 私たちの中に「盗撮ビデオを出すことによる抵抗」があったからだ。
 
猥褻な情報を正当に出すには。
過去の盗撮特集などテレビや雑誌を参考にしてどこまでなら許されるのか?
 
盗撮犯罪の手口を推測し、防犯意識を訴求する為には最低限素材となる画像が必要となる。その結果、盗撮ビデオからのキャプチャー画像に写る被写体にマスクを画けた映像を(Q、クエスチョン)とし、自社製作機器の写真と撮影角度を(A、アンサー)としてみて頂ける様にしたうえで、「激化する市場は、過去の報道情報をベースとして身近な犯罪である」と言うことと、法整備の必要性を訴求する。

 ここまでは自然な流れとして比較的簡単には進んだのだが、ここで大きな問題が発生した。
 
 それは活動名称である。盗撮犯罪について法整備が必要だと訴求するには、「誰が・何を・どの様な目的で行っているのかを明確にした情報の発信源」が必要となる。

 私が運営する会社のページの中の一つの発進情報として製作する事で所在地等明確にはなるのだが、そこでも意見が別れた。

 私が考えた名称について、「社会的イメージは良くないのでは」との意見もあったのだが、私はあえて「盗撮」を全面に押出す形にした。

 調査会社だからここまで盗撮問題を追及できたのだが、下手に調査会社の社名を出すことによるデメリットも生じる。

 会社として運営する限り、信用の失墜は大きな痛手となるので、黒木氏に許可を頂き、黒木氏の名声をお借りして黒木昭雄=「盗撮問題」として位置づけ、ホームページに誘導し認知度を広めていく事とした。

 私は空いてる時間をフルに使い製作に取りかかった。年末年始も関係なくホームページ作りに打ち込んだ結果、1ヵ月で作り上げた。スキル0から寝る間を惜しんで作ったから本当に大変だった。

追記
捜査するジャーナリスト黒木昭雄と探偵平松直哉
この二人がコンビを組む中で約束事がいくつかあった。
黒木氏は私達の調査能力を認めてくれていたから、捜査するジャーナリスト黒木昭雄として私の活動を応援する。 
その代わりに私達が関西での黒木氏の仕事を探偵として支援する。
ギブギブの関係で金銭のやり取りはしない。 
こりは二人で出した提携契約だった。

そしてもう一つ、私の中で黒木昭雄氏を放したくなかった。
だから和歌山盗撮事件の取材が終わり帰る日、昼ご飯を食べに行った時私は黒木さんに喧嘩を売った。
この日の朝、新聞に和歌山県警被害警察署内留置所にて容疑者であるY氏が防錆具をはめられ死亡した事件で担当警察官に対し略式起訴50万円の罰金という記事を見ていたから、あえて黒木氏に「警察官はいいですね。人を殺しても50万円の罰金で済むんだから・・・」って言ったら黒木氏のスイッチが入った。

「そんなわけないやろ・・ふざけるなよ」って・・・
じゃこの記事は何って新聞を見せたら、声を震わせ、「平松さんこの事件について調べられますか」「分かったことすべて連絡ください。一度東京に戻りますがすぐ戻ってきます」 私は心の中でやったー!! これもらった。
和歌山の事件なら情報を集める自信があった。特に東署。ホームエリアだし、和歌山県警への復讐と黒木氏と仕事が出来る喜び。
この事件は週刊プレイボーイで連載され、被害者遺族の背を押し最終国家賠償勝訴となった。 

警察官と探偵 似ている部分がある。
そこにジャーナリストという第4の権力も同じ。
共鳴し合って事件を追う。妥協しない姿。 ここからスタートしたのが9年間かわらず続いたから、今も黒木昭雄の功績を遺す記念館を私がしているのだが、運命だったと思う。


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