『成瀬は天下を取りにいく』 - 宮島未奈

 Audibleが2ヶ月無料キャンペーンをやっていたので久々に再開した。普通のサブスク制になって以来初めてだが、2ヶ月経って課金始まる前にまた抜けるつもり。最近通勤時間が短くなって聴く習慣自体がなくなってしまった。
 継続する気もないのにアレだが、月額料金で聞き放題というのは画期的だと思った。何故かというと、積ん読の概念が無くなるから。本を読みたいという欲求と買いたい(所有したい)という欲求は全然別で、そのサイクル差のせいで積ん読が生まれてしまう。しかしサブスク読み放題なら! 後で読むために買っておくというプロセスが存在しなくなる! 買うかどうか迷って悩むこともない! 読むことに集中できる!
 これは想像以上に素晴らしいと思った。継続はしないけど。

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 Audibleトップページで本屋大賞の特集バナーみたいなのが出てきて(忘れたけど多分そう)、前にこの記事を読んだせいで逆に本屋大賞が気になってしまっていたので成瀬は〜を読んでみた。

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 成瀬は明らかに高知能の類型なのだけど、作者は意識して書いてるんだろうか? とか思った。大きい数字を素因数分解したり、学校の成績が良かったりというのを明確に書いているから勿論そうなんだろう。
 変人だから浮いてしまってクラスの女子全員から無視されたりするくだりなど非常に解像度が高いと思った。痛ましいほど。

 著者名で調べたら京大卒だそう。なるほど…と思った。この作者自身が過ごしたかった青春の日々を小説に仮託して供養あるいは再生しているのに違いないと思った。
 小説を純粋に楽しむのではなく作者がこういうつもりで書いてるんでしょとか考えるのはすごく下種なことだ。やめたほうがいい。

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 青春小説とかいう知らないジャンルにあたるようだ。確かに分類するとしたらそう分類するしかない。
 若い頃にしかないあの熱を帯びた空気が思い出されるようで、中年の自分が読んでも面白かったが、やはり適切な時期にこれを読める人の文化的環境を羨ましく思う。この小説の主人公、成瀬と同世代の頃に、「今」「自分自身の」物語として、同時代性・同世代性をもってこの小説を受容できる幸運な人たちのことを。

 もう少し子供向けだけど、森見登美彦の『ペンギン・ハイウェイ』という小説があって、僕はやはり中年になってから読んだのだけど、これの映画化が決まった時、旧twitterでたまたまフォローしていた人が、まるで子供の頃の自分自身の素晴らしい思い出が映画化されるかのように本当に大喜びしていて、その時に文化的格差ってやつを感じたのだった。
 少年のころ、あの小説の対象読者ド真ん中のころに、あのお話を読めていたらどんなに素晴らしいだろうね。

 もちろん僕が子供の時に成瀬もペンギンもなかった。世代が違うから。なかったのだが。あったとしても読めていなかった気がする。
 誰もが見ているテレビアニメでもなく、学校で強制的にやらされるわけでもなく、ちょっとマイナーな児童文学とか青春小説といったジャンルで、そこまでお堅いわけでなく遊び半分のお話だから、大人が積極的に推奨してくれることもない。どうやってここにアクセスするんだろう、という気がする。そしてこれこそが豊かさではないか? という気がする。

 子供なりに世界に対して広く見識を持ち、様々な作品が溢れ返っている中、背伸びして大人向けの作品にいくわけでもなく、今自分が面白いと思うものを適切に選び取るセンスとか、それを勧めてくれる素晴らしい友達とか。子供の遊び半分の活動を許容してくれる普通の親とか。そういうものが必要だ。
 そんなまともな環境の中、斜に構えることもなくただ純粋に作品に没頭して、心から楽しんで、自分のことのように体験し、思い出を増やして、現実のことも物語の中のことも全て綯い交ぜに夢見て眠りにつく。そんな幸福な子供時代を過ごせたら。なんて素敵なことだろうかと思う。

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