遠山美都男『日本書紀の虚構と史実』洋泉社(歴史新書)

・推古天皇の登場=執政能力が備わっていれば性別は関係ないという段階に達していた。
・聖徳太子は摂政ではなく、「外相」。
・蘇我氏は改革派だったから仏教を信奉したのではなく、「蛮神」であった仏を宥める役割を天皇から担わされた。
・乙巳の変とは、孝徳天皇を次期天皇に推す勢力が起こし、軍事行動の成功を機に皇極天皇を譲位させようと意図していたもの。蘇我氏は孝徳天皇のライバル古人大兄皇子を支持。
・天武天皇にはもともと皇位継承資格がなかった。皇女や第二子以下の皇子は資格外。
・身分の卑しい母を忌避するようになるのは天武天皇時代から。
・天智天皇は、皇位継承資格を能力・経験主義から血統主義に変えようとしていた。
・壬申の乱の際、大海人皇子が軍事指揮権を長男の高市皇子に委譲したことで、大友皇子VS高市皇子という次期天皇の争いという性質を持つようになった。
・内乱に勝利した高市皇子の上位にある大海人皇子には天皇より遥かに強い力が与えられることになった。
・大津宮は東国支配を進めたい斉明天皇によって選定された。大津は東国へのアクセスがしやすい。

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