E.H.カー『歴史とは何か』岩波新書

“歴史は、紛失した部分が沢山ある大規模なピクチュア・パズルと呼ばれてきました。……私たちが知っている姿は、あらかじめ私たちのために選び出され決定されたものです”

“我々が読んでいる歴史は、確かに事実に基づいてはいるけれども、厳密に言うと、決して事実ではなく、むしろ、広く認められている幾つかの判断である”

“十九世紀の事実崇拝は、文書崇拝によって完成され弁明されておりました。……すべてこれらは、歴史家が文書の研究を行い、これを解読するまでは、何物をも意味しないのです。、……歴史家が事実を利用するというのは、処理過程なのです。”

“すべての歴史は「現代史」である、とクローチェ(イタリアの哲学者)は宣言いたしました。……そのいみするところは……歴史家の主たる仕事は記録することではなく、評価することである……というのです。”

「歴史とは歴史家の経験である。」オークショット(イギリスの政治学者)

“したがって、私たちが歴史の書物を読みます場合、私たちの最初の関心事は、この書物が含んでいる事実ではなく、この書物を書いた歴史家であるべきであります。”

“歴史家が、自分の書いている人々の心と何らかの触れ合いが出来なかったら、歴史は書くことが出来ないものであります”

“さて、……今度は、そこに見られる若干の危険を考察する番であります。……すべての客観的歴史を排除することになり、歴史は歴史家が作るものだということになってしまいます。”

“歴史家と歴史上の事実との関係を吟味してまいりますと、私たちは二つの難所の間を危うく航行するという全く不安定な状態にあることがわかります。……つまり、歴史の重心は過去にあるという見方と、現在にあるという見方との間であります。”

★結局のところ、歴史とは、歴史家と事実との相互作用、現在と過去との対話である。


「歴史的事件というものには、誰ひとり欲していなかった方向へ歴史のコースをねじまげるような性質がある。」バターフィールド

歴史の事実は、個人の事実であるが、“社会のうちにおける諸個人の相互作用に関する事実であり、……みずからが意図していた結果とは食い違った、時には反対の結果さえ生み出すような社会的諸力に関する事実なのです。”

“歴史家が本当に関心を持つのは、特殊的なものではなく、特殊的なもののうちにある一般的なものなのです。”

「歴史家を歴史的事実の蒐集家から区別するのは一般化である」ゴッドフリー・エルトン(イギリスの歴史家)

★一般化を行って、将来の行動のための一般的な指針を与える。しかし、歴史家は特殊な事件を予言することはできない。


“歴史の機能は、過去と現在との相互関係を通して両者を更に深く理解させようとする点にあるのです。”



★歴史家は過去の個人に対する裁判官ではない。法的にも道徳的にも現代のものさしで過去の個人を断罪することはできない。


★歴史の研究は、原因の研究であり、「なぜ」と問い続けるものである。


「現代史というものが面倒なのは、すべての選択がまだ可能であった時期を人々が覚えているため」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?