細川重男『執権』講談社学術文庫、2019年

第1章、第2章

・頼朝挙兵の兵力は90騎ほど。山賊の殴り込みレベル。北条氏も最大で30騎。
・北条泰時は『吾妻鏡』では一度も北条と呼ばれていない。義時は北条氏庶家の江間氏。
・頼朝親衛隊。養和元年4月7日。武勇に優れ忠誠心ある者11人を「御寝所の近辺に候ずべきの由」。江間四郎(北条義時)を筆頭。葛西清重・下河辺行平・結城朝光・和田義茂・梶原景季・宇佐美実政・榛谷重朝・三浦義連・千葉胤正・八田知重
・清重 治承4年11月10日、頼朝に妻を献じようとする。
・結城朝光 頼朝の乳母の一人寒河尼の子。尼は頼朝の9歳年上。心の姉的存在。
・頼朝は配下の武士たちを門葉(一門)、家子(親衛隊)、侍(一般御家人)の3つに分けた。
・積極性のなさが義時の人生の特徴。周りの騒ぎに巻き込まれる。
・実朝は弱くてかわいそうな将軍というイメージだが、実は短気で怖い。幕府は朝廷に引けを取らないというプライドを持っている。義時とは信頼関係。
・義時は災難にあうたびに、自分と周囲の人たちを守るために戦い、結果として勝っていった。最後には承久の乱で上皇も倒した。
・北条氏得宗の幕府支配の正当性は、武内宿禰の再誕である義時の直系であり、将軍の「御後見」たることに求められる。したがって、得宗自身が将軍になるという発想にならない。そして、八幡神の命により得宗は幕府と天下を統治するというロジック。

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