推しへの渇望の正体

前々回から推しが欲しいと言ってきたが、その根本がわかった気がしたので記しておく。

結論からいうと「寂しさ」と感じた。この寂しいという感情は孤独という意味でもあり、満たされないという意味でもある。これは醜い承認欲求かもしれないが、他者から見た自分がどう映るのかを考えてしまう。代替があるような存在だと感じると、もう私の中で何かが終わってしまう。自分の「特別さ」を誰かに認めてほしいという「寂しさ」だ。
私から見た「推し活」というのはその承認欲求が無い、もしくは満たせた人間による遊びと思う。推しのために自分は黒子に徹するもの、または、推しに認知され烏合の衆の中で頭一つ抜き出るもの。私には前者のような犠牲精神は耐え難く、後者のような努力が行えていない。この承認欲求を満たす術はあるのか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?