人ってそゆもんっていつもなったっけそれでいいしそれがいい

ある時からとある漫画をぱったり読まなくなった。
理由はわりとしっかりとあって、その人が好きすぎるあまりブログ的なものも追っていたから。

そこで死ぬとか言ってるから。

言っとくけど「だめだめ生きて!💦💦」とかあんまりそういう感情は無かった。というか創作界隈って持ち回りみたいに死や鬱の話が色んなとこから出てくるから、別に珍しいことと思わなかった。
そういった人達を見て、きっとうちがあと20歳若かったら「希死念慮や病気を見せびらかしてる」と表現していたんじゃないと思う。実際、高校生の頃は「悲しみの背くらべってキショい」とよく言っていた。
でもうちは残念なことに有り難いことに逞しいことにおばさんになった。どこに出しても恥ずかしくないおばさんだけどセールとかの肉弾戦にはあんま向いてないから借り出してほしくない。
おばさんになるとどうなるかというと、人の悲しみや不幸の話に寛容になる。同情もするし、大した事ないけどまぁこの人にとって大変傷付くことだったんだろうななんて手を広げて理解を示そうともする。
今よりもほんの少し若かったけど当時も三十路にはなっていたのでもうおばさんだとして、そんな感じで他人の悲しみへの触れ方を少し心得てきたうちにとって、その漫画家さんがブログに書かれていたことは結構衝撃だった。
戦場に現れた子猫みたいにもう決定的にズバンときた。学生時代のうちですら同情するレベル。

だから、漫画から離れた。

自分ではわりと作品と作者を分けて考えるタイプなんだけど、そしてそうあるべきと思うんだけど。とにかく「この人、死ぬ死ぬ詐欺じゃなくてガチで危ないかも」と感じた。この人が連載中に本当にいなくなってしまって、うちは作品をフラットに見れるのかと怖くなった。
死を理由にその作品を美化するって冒涜だと思うので。そんなことに気付いていない人達は好きにしたらいいけど、気付いたらもう無視はできない。幸い、当時から仕事に公募にWEB連載にと忙しくしていたから、触れないでいることはそんなに難しくなかった。

それで今朝、なんかこれまで心の隅っこでずっと我慢してたみたいに、どうしてもその漫画が読みたくなった。当時は最新話まで読んでたけど、連載が続いてるかどうかも分からなかった。もしかしたらうちが読んだところから続きが全然投稿されてなかったりして、とか。
まぁそれは杞憂だった。ので、数話拝読した。まだ読めるお話がたくさんある。本当に有り難い。
たまにWEBで見れる作品などの情報収集をしているせいか、その作品が前ほど話題に上がらなくなったこともなんとなく感じてた。でも、連載を続けていてくれて、本当に嬉しかった。
うちはこの子達の行く末を見届けたいし、同じ作者さんの他の作品も読みたい。もうあれっきりブログは読んでないから今はどうかしらんけど。まだ死にたいって言ってたり、口にしなくてもそんな日があるんだとしたら……いや、だとしても死にたがってる人に死なないでって言うの嫌いなんだよね。鬼かよって思われるかもしれないけど、だって他人だし。正直、心以外で困らないもの。
うちの好きなアーティスト、チリヌルヲワカのドルチェという曲に、「君の未来に用があるだけだ」って歌詞がある。まさにそんな心境。「綺麗事は言いたくない」なんて綺麗事も言いたくないんだけど、単純にあなたの作品にはそれだけの価値があって、うちはそれを見たがってるって言葉にしたい。
こういう気持ちってすごく大事だから書いとこうと思った。それでタイトルみたいなことを思った。ただ結果オーライってなったって話なんだけど。しんどくなっても何かのおかげでなんとかなったら、それがいいよね。

サポートして下さったらそれは全て私の肉代に消えます。