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恐怖のがんもどき2

連日の土壌調査がきつすぎて同行者にブチ切れられた話 その2

〜前回までのあらすじ〜
ののの率いる土壌調査チームは、単独1班編成で雷撃戦を続け、破竹の勢いで数々の調査地点の土壌サンプルを得ていた。しかし、新潟、群馬、福島、栃木、山梨、埼玉の過酷な数量、急な斜面、降雪が迫る高標高の調査地点、到着したら土が全くない全部岩盤みたいな地形の地点に苦戦を強いられていた…

閑話休題

皆様は、群馬県と新潟県の県境がどんな環境か、行ったことはおありだろうか?
高速関越自動車道を通って、新潟に行かれたことのある方は長い関越トンネル前後の山深さを知っているかと思う。

11月の谷川岳

国内で最も死亡者が多い谷川岳が介する群馬県側の標高1,000m前後の小ピーク群は、関東屈指の豪雪地帯であり、多雪地帯かつ急傾斜であることから雪崩が頻発、尾根付近は削られてより尖った地形を呈する。
生育する植生も、積雪に強い日本海側の植生で構成されていて、冬季の積雪による重さで「ほぼ全て」の木の根元が曲がって生えており、林床は凄まじい密度のササに覆われて全く人を寄せ付けない場所ばかりなのである。

過酷な場所から土を持ち帰るミッション

そのような、谷川岳周辺(といってもものすごく広大だが)の群馬県側水上町に土壌調査の地点が6~7地点落ちていて、全地点深さ1mの代表断面を掘削しなければならない仕様となっていた。このエリアはとにかく過酷を極めた。
国有林の入林許可が下りたのが10月、より緯度が高くて標高の高い那須塩原や新潟の妙高の地点を先に実施したせいで、我々が水上町に降り立った時にはすでに山の上の方は白くなっていた。 

調査地点の進捗は、通常1日1箇所、終わらなければまたその地点に上がらなければならないので良くて1週間で4~5箇所、地点が見つからない(調査地点にはプラスチック製の杭がある)場合は無限に時間を要するため、1箇所調査するのに2日かがりになることもあった。
進捗が悪いと、どんどん秋が深まり、、寒くなり、雪がちらつき始めて、僕は結構焦っていた。マジで冬になって、調査地点に入れなくて終わんないかもしれないこれは。 

水上の調査地点はどこも遠く、凄惨なヤブ漕ぎを含む片道4kmの地点や、ガレた沢登りを強いられて、毎日車に戻ってくるときはとっぷり日が暮れていた。ヘッデン(ヘッドライト)によってレンタカーが見えた時は毎日本当に安堵した。
到着した地点はどこも美しいブナの原生林で息を呑んだが、この環境で唯一の人工物といえる調査地点を示すプラスチック製の杭は、地元の方々(ツキノワグマさん)によって禍々しい牙研ぎ跡がついていて、到底長居は無用と思われた。

調査地点のイメージ

断面を掘削するも、下層植生がササで覆われすぎて先ずササの草刈りから始めなければならないし、傾斜が急すぎると少し堀っただけですぐに火花が散るような岩盤が出てきて本当に辟易した。こういう場合は諦めて土が採れる場所を探す。ちなみにこの時すでに僕は30穴以上代表断面を一人で掘削していたので、すさまじい速さで穴を掘ることができていたと思う。
どんくらい早いかというとビジョンメガネのCMに出てくる犬?ぐらい速い。


お前もがんもどきのようになりたいのか

宿に帰ってくると、すでに19時半を回っていてすぐに夕食となるのだが、皆疲れすぎていて、2階にある自分の客室まで先ずいけない。足がもう痛すぎて(もはやどこが筋肉痛かわからんぐらい疲弊していた)階段の踊り場で一休みしないと階段を上がれなかった。
宿の夕食はボリュームのある美味しい食事だったのだが、疲労困憊した状態で皆口数も少なく、両目を瞑ってただカロリーを摂取する行為となっていた。ただグツグツと、固形燃料によって煮える小鍋の音だけが食堂に響く。
とはいえ、現場のリーダーである僕は明日の天候と工程を鑑みて、明日の予定を皆に伝えなくてはならない。確かこの時は、木曜日だった。金曜日には一度帰って体勢を整えなければならない。水上の地点は最も遠い地点を残しあと数地点残っていたし、水上に泊まっているので明日も水上の地点をやる選択肢以外なかった。 
の「明日も、5時半に車に集合して、水上の地点をやります。サンプル袋の
用意はこの後に..」と伝えたところ、それまで黙って食事していたK口さんが
重い口を開き、
K「。。。なんで、お前、明日も。。水上。。?」
の「?そうです」
K「おかしいだろ!!なんで毎日毎日こんなッ、、!遠くてきつい場所ばっか!!!!」
声を荒げながら、K口さんはそれまで食べていて拳大の「がんもどき」を割りばしでめちゃくちゃにしごきながら続ける。
K「もっと近い地点とかないのかよ!きつすぎるだろ!!!」
K口さんの怒りの感情を僕とがんもどきが一身に受けていた。
K「元からよォ!!なんなんだよっ!!毎日水上って!バカすぎるだろ!!
しかもなんで1班だけなんだよ!!どうなってんだよ!!援軍とか来ないんかいっ!!?」
圧倒的正論の前に、すでにがんもどきは原型を留めていない。
僕とMさんはうなだれて聞くのみだ。
K「明日しかも金曜だぞ!?水上やって、今日みたいな時間に車に戻ってきて、帰るのか!?ええ!?」
がんもどきの中には枝豆が何個も入っていたと思うが、K口氏が怒りのあまり、あまりにも激しくいじくるので、中に入っていた枝豆が「ピーーンッ!」飛んできた。それがかわいかったので、話を聞きながら僕は少し笑ってしまった。

「なにがおかしいんだよ!!!この!!状況で!!お前も!!!!がんもどきみたいにしてやろうか!!!!!!!!!」

K口氏の怒号が食堂内に響き、黙って聞いていたMさんが「まぁまぁ。。」と諭してくれたが、内心Mさんももう帰りたかったんだと思う。
ちなみに、この時のK口氏は怒りに任せて今まさに立ち上がって僕に訴えかけてようとしていたが、連日の調査で足が痛かったのか、立ち上がろうとして途中でやめていた。笑

ここまで同行者を怒らせてしまっては、流石に安全管理もなにもあったものではない。これまでも下山時に僕が下りる尾根を間違えたり、ルートをミスしたりで時間をロスするたび、しばしば衝突はあったが、このまま明日も水上を決行したら、次は僕がマジでがんもどきと同じ運命を辿るかもしれない。なんとかこの場を納めなければ。

起死回生の高崎の地点

の「わ、わかりました。。水上は過酷ですし、僕も皆さんも疲れてるので、残りの地点は上司と相談してまたにします(来週にするとは言わなかった)」
そこまで言ってようやくK口氏ががんもどきの解体から手を止める。

K「。。あたり前だよ。はぁ、全く。それで?明日はどうする?」
の「高崎(群馬のずっと南の方)の地点が確か1地点あったと思いますので、通り道ですし、明日はそこをやってから帰ろうと思います。車からもほど近かったです」
K「そういう地点があるなら先に言えよ!!まぁでもわかった。わかりましたよ。」(もぐもぐ)←原型を留めていないがんもどきを食べる

かくして、がんもどき1個が犠牲になったがK口氏の機嫌も直り、Mさんもほっとした表情で、ようやくこの地獄のような水上エリアから帰れる喜びで一同は眠りについた。 

エピローグ

ちなみに、あまり覚えていないが「車から近い」と前情報のあった高崎の地点は林業関係者の車が往来していて、遠回りを強いられた挙句傾斜がない平坦尾根で階段状に掘削せねばならず、まぁまぁきつかった。
最初は機嫌の良かったK口氏も2個目の穴ぐらいで「聞いてた話とちげぇ。」とブツブツ言いながら作業してくれたが、水上よりはマシだったのと帰れる喜びからか、終始がんもどきをしばく勢いはなかった。

本当に今これを書いてる途中でも、この土壌調査は反省材料ばかりの脳筋調査だったと思う。先ず、請けられる体勢が整っていないのに受注して2年目とかの僕に丸投げ、「終わらせられないとお前の責任」のような空気をまとっていた当時の上司に相談できなかったことは今でもつらい思い出として残っている。とはいえ、自分の足で歩いてサンプリングして帰らないと帰れない状況は、精神的にも鍛えられた。若い頃に経験していてよかったと思う。今ならもう少し、冷静かつ安全にこなせるかなぁ。

残りの水上や新潟の地点についてもK口氏がしばしばキレるシーンがあってこれがまた面白かったのだが、これはまた、別のお話(ネバーエンディングストーリー風)

最後までお読みいただきありがとうございました。 

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