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身の丈を知らない狭い世界

古い本。大好きな写真家の著書を移動の電車の中で読んでいる。地下鉄で6駅7駅くらい時間が取れると1つのセクションくらい読み進めれるので少しづつ。

1章1章が本当に興味深く全然古い本には感じない。写真を学んだことのない僕にとって教科書のような存在になっているし、実はあまり人に教えたくないくらい気に入っている笑

先日読んだ「カメラは安物で結構だ」。 1つのコラムで昭和三十一年に寄稿された記事だと思う。その章まで、寄稿された写真を題材に被写体との向き合い方や写真を撮るものとしての姿勢について書かれている内容が多くメンタル的な視点でインプットが多かった。けど急に1章の文章量も多くなり話題も毛並みが変わり少し退屈な触りだったけど。

国民の誰もが無理せず、背伸びせず、自己欺瞞(じこぎまん)せずにいいカメラを楽しめる社会と時代を用意する方向に諸君の眼を振り向けるべきではないか。そのためにこそカメラは諸君の手にあるのだ。

そして続いて

そして、それこそがリアリズムの道なのだ。

68年前ですよ、この言葉が記されたのは。

この書籍が言い示している時代は、カメラが一般層に浸透してきて一家に一台、まさに世の中のポピュラーになってきている過渡期に感じた。その様子が今現在の世の中とオーバーラップする印象がありました。そして今のSNS、カメラ社会に対して苦言を呈しているように。

人それぞれ楽しみ方触れ合い方がある。人がどう幸せを感じるかあるように。なので本を読んで「こうあるべき」と言うつもりはサラサラないけど、自分がどこに進んでいきたいのか。写真を通して人生で何を成し遂げたいのか。そのためには何が必要なのか。ヒントを掴むように読み進めています。

波を撮り始めた頃の自分は素敵だった。でも今もスタイルは変わるもずっと波を追っている。なので今も素敵だ。ただ少し前や今もちょっと勘違いしている部分が抜けないし、被写体以外の部分に欲がこびりついて離れない感覚もある。

ずっと違和感を感じていた言葉「写真家」

noteに言葉を並べるたびに考えてします。考えれば考えるほど僕は写真家ではないと思っていまう。被写体、構図、メッセージ、それぞれに合わせてカメラという機材を十二分に使いこなし的確に写すことは、僕には出来ない。単純に知識がない経験がない。でもどこかうまくいっているはず、要点は掴めているはず、素人ではないはず。なんて言うつまらないプライドがやっぱりあって、認めるあげることができてない部分がまだまだ多いです。この本を読み進めれば進めるほど自分の所在地を感じることができるし、やるべきことが明確になってくる。そして必要のない余計な贅肉を削ぎ落とすキッカケにもなっている。

身の丈にあったという表現だととても謙虚な印象だけど、そうじゃなくて、「自分にとって大切なことって実はシンプルで1つか2つの要素なんじゃないかな」って思うんですよ。展示をして作品をたくさん買っていただいたその日から写真家として真摯に生きてきた。目指していた世界はとても広大だったけど、僕が進むべき世界は孤独で狭い世界。とりあえず今の僕の理解はそんなところです。

ちなみにこの本は3冊セット二千円でメルカリで購入したんですよ。SNSで写真に生きているのか、評価に生きているのか、よく分からない人気者の画像に時間を割かれるくらいなら、僕は好きな写真家の著書を読んだ方が色々勉強になるのです。

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