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ありがとう「さんふらわあ こばると


2023年4月14日、別府国際観光港から大阪南港コスモフェリーターミナルへの航海を終え、現役を退いた「さんふらわあ こばると」(以下「こばると」)。

1998年4月8日に関西汽船(当時)の阪神別府航路に就航して以来、航路の再編、会社の合併…といった激動の時期も乗り越え、25年間、別府航路を守り抜き、次世代へバトンを繋いだ。

かつては神戸、松山へも寄港していた別府航路。

個人的に大好きな1隻だっただけに、寂しい気持ちでいっぱいだ。
そんな寂しさを紛らわすため、「こばると」の思い出を書き連ねていきたいと思う。


1.出会い

私が長距離フェリーに興味を持ち始めたのは、2019年頃のこと。
ちょうどその頃、別府航路への新造船投入が発表されていたが、まだよくわかっていなかったので、何とも思っていなかった。無知というのは恐ろしい

はじめて「こばると」と出会ったのは2020年3月。
オレンジフェリーを下船した後、南港を散歩していた時だったと思う。
丸みを帯びた小ぶりな船体に、ひときわ目立つ2つのファンネル。
他の長距離フェリーとは少し違う、「スマートで綺麗な船」というのが第一印象だった。


ドック明けだったのか、白が眩い船体。

4か月後の7月、今度は別府で再会。
相変わらずスマートでスタイリッシュな船体。
その独特なスタイルに、この辺りから少しずつ惹かれ始めていく…。

2.はじめての乗船

当時は「鬼滅の刃」が大ブーム。
「こばると」もちゃっかり便乗していた。

はじめての乗船は2021年1月9日、南港発の下り便だった。
この時は舟遊プランを利用しての乗船だったため、折角だからちょっと贅沢しようと、お部屋はデラックスシングルをチョイス。

デラックスシングル

これがすごく良かった。
いや、良かったとかそういうレベルではなかった。
もう今まで利用したフェリーの1人用個室とはレベルが違う。
まるで洋上のビジネスホテル、快適さが段違いだった。

エントランス
ラウンジ

そして船内の雰囲気、これもまた良かった。
この時点で就航から20年以上が経過しており、さすがに古さを感じてしまう部分もあったが、逆に少しレトロで、どこか気高さすら感じられる船内の雰囲気が個人的に超ストライクだった。

グッドルッキングフェリーだと思う(2021.3)

もともとスタイリッシュな見た目が好きな船だったが、いざ乗ってみると、外観だけでなく、中身も最高となれば、もう惚れない理由はない。
もう気が付いたら「こばると」の魅力の虜になってしまっていた。

ちなみに肝心の航海は、強力な寒波の影響で少々荒れ模様。
デッキにも出られず、少々消化不良な感もあったが、そんなことを忘れさせてくれるぐらい「こばると」が魅力的だったので、もうどうでもよかった。

3.2度目の乗船

2度目の乗船は3か月後の2021年4月。

今度は別府からの乗船。
別に狙ったわけでもないが、今回も「こばると」だった。
姉妹船「さんふらわあ あいぼり」(以下「あいぼり」)と2分の1のはずなのに、やたらと遭遇率の高い「こばると」。これはもう運命では…?とか思い始める。

実際なかなか「あいぼり」に乗船する機会はなかったし、本当に運命的な何かがあったのかもしれない…。

スタンダードシングル

この時のお部屋はスタンダードシングル。
一晩過ごすだけなら十分な設備だったが、デラックスシングルを知った体には少々物足りず…。
結局これが最初で最後のスタンダードシングルとなった。
スタンダードシングルが悪いんじゃない、デラックスシングルが良すぎるだけなんだ…。

御船印

この時のお目当ては始まったばかりの御船印を手に入れること。
フェリーさんふらわあの御船印はやたらとセンスが良く「欲しい!」と思って、気が付いたら別府にいた。
我ながらフットワークが軽くて感心する。

船上から眺める別府の夜景
明石海峡大橋

荒れ模様だった前回とは異なり、この航海は快晴。
大満足の航海となった。

この2度の乗船ですっかり「こばると」の虜になってしまったわけだが、次の乗船は1年10か月後、少し間が空くこととなる。

この時期、御船印とか久々の新航路とか色々あったから仕方ないね。
本当は「こばると」も乗りたかったけど体が足りなかった…。

3.しばしの空白期間

志布志航路休航でちょっと寂しいATC(2021.6)
「にっぽん丸」とのツーショット(2021.10)
一仕事終えて食事中(2021.11)
朝日を浴びてATCに入港(2022.1)
名門1便で到着後、寒い中待ち構えて撮った思い出深い1枚。

とは言っても、乗船してなかっただけで、機会を見つけては会いに行ったりはしていた。

先述のとおり「こばると」とは本当に相性が良かったため、南港や別府に行くとだいたいいつもいた。
おかげで(?)たくさん記録に残すことができたし、ますます愛着が深まっていった。


あとは「あいぼり」の方に乗船したりもしていた。
2022年8月、あまりに相性が悪かったので、こっちの予定を「あいぼり」に合わせにいってようやく叶った乗船。

結果としてこれが最初で最後の乗船となってしまったが、こちらも「こばると」に勝るとも劣らない素晴らしい船だった。(姉妹船だから当たり前だが…)

「あいぼり」船内(エントランス)
「あいぼり」船内(プロムナード)

船内の色合いとかは「こばると」の方が個人的には好みかもしれない。
ただ、どちらも素晴らしい船であることは間違いないことは強調しておきたい。

4.こばるとを追いかけて

2023年1月16日、別府航路に四半世紀ぶりとなる新造船「さんふらわあ くれない」が就航。これに伴い「あいぼり」は一足先に現役を退いた。

「こばると」に残された時間も残すところあと3か月弱となっていた。

というわけで最後の冬、悔いのないようにひたすら「こばると」を追いかける0泊3日の旅を実行することにした。

夕闇にたたずむ「こばると」のシルエット

2023年2月3日、約2年ぶりの乗船は南港から別府への下り便。

この日の乗船は約270名
大浴場もレストランも混雑していた。

コロナ禍も少し落ち着き、賑わいを見せる船内。
2年前はコロナ禍真っ最中ということもあり、人影まばらな船内だったが、最後の最後で賑わいが戻ってきたのは嬉しい限り。
個人的には空いてる方が快適だったとか言わない。

寄せ書き
引退へのカウントダウン

船内には寄せ書きやカウントダウンが登場しており、引退が迫っていることを実感させられ少々寂しい気持ちになると同時に、色々な人から愛されていたんだということも実感でき、ちょっと嬉しく、温かい気持ちにもなった。

もうオタクの感情はグチャグチャである。

新造船用新ターミナル

明朝の別府国際観光港では、新造船用の真新しいターミナルがお出迎え。
旧ターミナルと並ぶ姿は、世代交代が目前に迫っていることを否が応でも実感させて、またちょっと寂しい気持ちになった。

宇和島運輸「あかつき丸」

別府で下船後、ちょっとだけ温泉に浸かってから宇和島運輸に乗船し四国・八幡浜へ。

いつ見ても惚れ惚れするような美しい船体

「こばると」に見送られながら別府を後に…というか「こばると」を撮るために乗ったようなものなんですけどね。

写真撮るために船に乗ったら八幡浜に連れて行かれた話。

おれんじおおさか

松山周辺をブラブラしてから向かった先は東予港。
オレンジフェリー「おれんじおおさか」で大阪南港へ戻る。

明朝6時、「おれんじおおさか」は定刻通り大阪南港に到着。
「こばると」はまだ明石海峡の手前、ミッションは無事成功。

えっ?オレンジフェリーに乗った理由?
そんなの「こばると」に先回りして南港で待ち構える以外にありませんが…

ちょうど日が昇り始めた頃のATCで「こばると」の到着を待つ。
時刻はまだ7時過ぎ、2月ということもあってかなり肌寒かった…。

来た来た来た来た!!!
ちょうど船体に朝日が当たる絶好のタイミングでやって来た。

朝日に照らされる船体、美しすぎる。

これが激Vってやつですか?
寒い中待った甲斐があった、大勝利です。
あまりの大勝利に一人小躍りしたい気持ちを必死に抑えていたらしい。

中突堤旅客ターミナル
2005年まで別府航路が寄港していました。

帰り道、「こばると」の幻を見に神戸・中突堤にちょっと寄り道。

あいこば聖地巡礼。

「こばると」のいる中突堤、さぞかし絵になる光景だったことは間違いないので、是非一度見て見たかったなぁ…などと思いを馳せていた。

5.最後の乗船

2023年3月18日、別府国際観光港。
やっぱり、別府発の上り便も乗っておかなければ…と思い、気が付けば手元に乗船券が…。

夕暮れ時の別府国際観光港で出港を待つ。
別府の夜景を背に出港。
旧ターミナルのネオンサインも過去のものに…
明石海峡で迎えた夜明け。
大阪湾ではクルーズ船と並走。
あっという間に大阪南港に到着。
お馴染みのデラックスシングル。
この部屋が失われてしまうことが本当に惜しい。
これが私が見た「こばると」の最後の姿となった。

下船の際はいつも名残惜しい気持ちでいっぱいだが、この日はこれが最後かと思うといつもに増して名残惜しかった。

なんとかどこかでもう1回…と思ったが、結局叶わず。
この日、下船後に見た姿が、私の見た最後の「こばると」の姿となった。

6.おわりに

「こばると」を追いかけていたのは現役最晩年の3年ほどだった。
3年という短い時間だったが、「こばると」は「あいぼり」とともに、たくさんの思い出を与えてくれた。
もっと早く出会いたかった…という気持ちがないと言えば噓になるが、たった3年とはいえ、この船と一緒に過ごすことができたのはとても幸せなことだったと思う。

25年間お疲れさまでした、そしてありがとうございました。
現時点ではまだ今後の去就は不透明だが、またどこかで会えるといいな…。

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