別府航路歴史探訪 別府編
2023年1月、新造船「さんふらわあくれない」の就航に合わせて供用を開始した「さんふらわあターミナル別府」。100年以上の歴史を誇る別府航路にとって、別府側のターミナルとしてはこれが4代目となる。
1.楠港
1912年5月、大阪商船は初代「紅丸」を阪神-別府航路に投入した。当時の別府港には大型客船の接岸できる桟橋がなく、艀を使って上陸していた。
1916年12月には大阪商船の専用桟橋が別府港(現・楠港)に設けられた。別府航路が戦時中に大阪商船から関西汽船の手に移った後も、変わらず別府の玄関口としての役割を担っていたが、客船の大型化などにより次第に手狭になり、1967年に別府国際観光港第二埠頭の新ターミナルへ移転、楠港はその役目を終えた。
初代のターミナルがあったのは、現在ゆめタウンが建っているあたりの場所だ。すっかり埋め立てられてしまっており、往時の姿を伝える遺構は残っていないが、道路の脇には港があったことを伝える記念碑が立っており、かつてここが別府の玄関口であったことを今に伝えている。
2.別府国際観光港(第二埠頭)
1967年7月、関西汽船は別府のターミナルを楠港から国際観光港第二埠頭へと移した。当時の別府航路には新造客船が続々と投入されており、利用者もうなぎ上りで、まさに黄金時代を迎えていた。
しかし、モータリゼーションの進展とともに、時代の流れは客船からフェリーへと変わっていく。瀬戸内海にも複数の長距離フェリーが就航し、客船主体の別府航路は少しずつ時代遅れなものになっていく。
1980年、そんな別府航路にも初の大型フェリーとなる「フェリーこがね丸」「フェリーにしき丸」が就航する(※1)。そして翌81年に第三埠頭の新ターミナルへと拠点を移した(※2)。
※1 1971年に乗用車フェリー「ゆふ」「まや」が就航している。
※2 第二埠頭の設備では大型フェリーに対応できなかったことが移転の理由だと考えられる。(筆者の推測でソースはありません)
3.別府国際観光港(第三埠頭)
1981年、大型フェリーの就航に合わせたようなタイミングで第三埠頭の新ターミナルへ拠点を移した別府航路。当時の別府航路は1日3便(大型フェリー1便、乗用車フェリー1便、客船1便)が運航されており、そんな活気ある航路にふさわしく、ターミナル建物も大きく立派なものになった。
そんな活気あふれる別府航路だったが、時代の波には逆らえず、1995年2月には3便から2便に減便、2008年1月にはとうとう1便のみとなってしまう。
2011年10月、関西汽船はダイヤモンドフェリーとともにフェリーさんふらわあに合併し解散、約70年の歴史に幕を下ろした。
関西汽船の時代から約40年間、別府航路の盛衰を見守ってきたターミナルは、2023年4月、関西汽船出身の「さんふらわあこばると」の引退とともにその役目を終えた。
役目を終えたターミナルビルだが、屋根の上の看板こそ撤去されたものの、建物自体はまだ使用されており、もうしばらくはその姿を見ることができそうだ。
4.さんふらわあターミナル別府
冒頭でも述べたが、3代目ターミナルの少し北側、同じく第三埠頭内に、2023年1月から供用が開始された4代目ターミナル。
別府国際観光港では再編計画が検討されており、それを見越した仮設ターミナルであるため、先代に比べるとかなり簡素な印象を受ける。
再編計画では宇和島運輸と一体となったターミナルの建設が検討されているようで、5代目ターミナルへの移転もそう遠い日の話ではないかもしれない…。
皆さんも別府へ行った際には、湯めぐりと一緒に別府航路の歴史を辿ってみてはいかがだろうか?
参考文献・サイト
・別府歴史資料デジタルアーカイブ
・カジュアルクルーズさんふらわあ
・栄光の別府航路 #1 #2 #3
・「さんふらわあ」と港町のヒストリー #3
・フェリー「くれない」復活(今日新聞社 2023年1月13日)
・大分県「別府港再編計画」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?