乙武さん、福岡先生、澤田さんの対談、ダイバーシティ、公平性や包括性の素晴らしい学びでした。
生物の振る舞い方から学ぶ多様性。生命とは何か?というフィロソフィー。
人間の多面性というロゴスで、現象を割り算する。
人間は、ロゴス(言葉)を持ち得たがために遺伝子の命令に反旗を翻し、
生命の自由を得ることができた。
しかし、そのロゴスを得たからこそ、また別の深刻な問題も生むようになった。
ピュシスを観ていくとともに、ロゴスの正しい作用のあり方を考える必要がある。
この大変素晴らしいお話の中で学び、
種の保存に参加しなくとも、社会に参画しなくとも、
誰かと繋がらなくとも、市場の価値を生産しなくとも、
まずあるがままの生命としてただそこにいる。
それが絶対的に承認され、肯定される。
まず社会課題に取り組む上で、基盤となる必要性のあるもの。
生命とは何か?というフィロソフィー。
種の保存や、既存の社会・組織の持続可能性、生産性が基盤となるのではなくて、
まず持って生まれた、個の生命のピュシス(自然)をまっとうする。その視座から、多様性や公平性、包括性を考える。
ロゴスの適切な作用のあり方を考えていく。
そのために必要性のあるものを考える。個の生命のピュシスを見る、知る。
そこから始まるもの、生まれるもの、再生されるもの。
福岡先生が仰っていた動的平衡の生命哲学、
生命の利他性というキーワード。ピュシスを知る、ロゴスの正しい作用のあり方。
乙武さんが教育の現場で取り組んだ、子ども達と考えたルールのあり方(義務教育でこそ、このような教育があったら素晴らしいと思います)。
澤田智洋さんのロゴスの正しい作用のあり方を問う『ホメ出しの技術』とも繋がって。
多面性からピュシスを割る。ロゴスの正しい作用とピュシスを見つける道。
大変素晴らしい学びでした。
東洋的な見方として、
「物の中に入るということ」、
「自然(ネイチュア)」ではない「自然(じねん)」。
鈴木大拙や西田幾多郎の話。
荘子の物化『胡蝶の夢』。
フランス現代哲学、ジル・ドゥルーズの生成変化。あらゆるものが連結するリゾーム。
Web3がテーマのイノフェス2022において、落合洋一さんがWeb3の創始者の1人を空也上人であると述べて、
昔の日本には、南無阿弥陀仏の一言で入れる極楽浄土というメタバースがあったと解説されていました。
※空也上人について書いた記事です。
そして、
先ほどの鈴木大拙の「物化」の話、日本やギリシャの多神の再認識の話、
「やおよろずの世界」が全国至るところに残っている日本の話がありましたが。
日本庭園においては、「縮景」や「借景」等の様々な技法がありますが、「添景」というデザインも存在しています。主に人工物を庭園に設置するデザイン。自然風景に添えるもの。
「添景」における庭の境界生成の考え方があり、それは近代の時代においても様々な創意がありましたが、
古くは、例えば厳島神社は、海のど真ん中に鳥居を立てて、その先を特殊な世界として演出しています。
神々の世界、その世界の風景を、海の中の鳥居によって、島1つを庭という時空として設計している。
「鳥居」は、概念が形態を持ったようなものか、どんな環境であろうとも、鳥居がそこに1つあるだけで、そこをくぐった先にやおよろずの神々の世界がある、そんな庭が設計出来る。
鳥居をくぐり、その物の中に入ることで、神々のご利益を得た、アバターに変身できた。
鳥居は、ある種AR的な機能を持っていたと考えることもできますね。
しかも、それはDAO的に分散している、日本の多神の世界、八百万の世界はDAO的なメタバース空間で、1人が複数のアバターを持てた。
個の生命のピュシス(自然)をまっとうするために、ロゴスのあり方を考え問う。
個のピュシス(自然)、割りきれない、その自然の中に複数の鳥居を立てて、生きながら輪廻転生する、分散したアバターを作る。
ピュシス(自然)を観て知ろうとして、ロゴス(言葉)のあり方を問う。
澤田さんが仰っていた、多面性から現象を割り算して、ピュシスを見続ける。その道。
いろいろ、いろいろ考えます。