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こいて逃れるへのりくつ

茶祖・村田珠光は室町時代、

浄土門の僧侶として修行ののちに禅僧・一休宗純と出会って茶の湯を確立していった。

その村田珠光の師とされる一休宗純。

一休さん。

破戒僧として有名な風狂の一休さんの破戒僧エピソードで、

「晩年、浄土真宗に改宗」という説を見かけて思わず笑ってしまいました。

高名な禅僧が改宗って、、笑。

破戒僧すぎ(あくまでも一説らしいですが)。

一休さんが残した、

弟子達への遺言書で、本当に困った時にだけその遺言書を開くよう伝え、

その後に弟子達が苦境に立たされ遺言書を開いた時、

「心配するな、だいじょうぶ、なんとかなる」と一言だけ書かれていた有名なエピソードや、、、

お墓の前でお経ではなく、

墓に屁をふりかけて「これでヨシ」みたいなことやって去っていった逸話も大好きなのですが、

その一言力というか、一発力というか(もはや屁こいてるだけですけど)、


一休さんの風狂エピソード。だいすき過ぎます。


お墓の前でお経の代わりに放屁を一発なんて風狂の武勇伝、いや美談かのようですが、、

ただのこき逃げなのでは、、、。

この屁りくつは常習犯だな、ぜったい。他の場面でもやってたな、ぜったい。と思わせます。

この場面について少し考察しましょう(こき逃げ)。

例えば、座禅をくむ修行僧の後ろを通りすぎる時に、一発スカしてたりとかですね。

棒で叩くかわりにですよ、

そりゃやってますよ、一発。

常習犯の手口ですね。

勘づいた修行僧とか怒られますから、

この異臭はお前の煩悩がもたらしたものであるとか言われて(こいた犯人から)。

屁ぐらいこかせろと一休激怒ですよ、、

これは、もうプッツンです。とまりませんね(屁)。

こかれるし、おこられるし、修行僧さんざん。


屁をこいたっていうか、こき逃げしたっていうか、空気を逃がしてるだけですし、

いや逃がしてるというか、空気を漏らしてるというか、

一休さんはすべてを「解き放ってる」わけですよね。

くうの境地みたいな。


それで空気を彫刻したと、その場の空間というか時空というか、、社会、そして世界を。

ちょっとしたパフォーマンスです。

一休さんが死ぬ間際に「死にとうない」と、禅の悟りとは程遠いであろう一言を言ったらしい逸話もだいすきです。

死ぬ間際に「死にとうない(真の悟りの境地)」。

そりゃそうですよ、辛いことも苦しいことも露の世、その無常をあるがままにいっぱつ、

いや違う、、発露する。

解き放つのだ、ぷぅと。


いつでもどんな時でも、、、

何発でも。

あなたは、あなた、なのだ。

好きな時に、こいていい。


悲しさ苦しさを精神論根性論で我慢してたら、 

お腹が痛くなっちゃうから、それは辛いよ。


与謝蕪村も「大とこの糞ひりおはすかれの哉」と詠んでいますが、自然な生理現象。というか、自然のエネルギーの輪廻。

道を歩きながら「ぷぅ」とガス抜き。

こいて逃れるへのりくつ。なにもしないで、

そのままで、いのちは尊い。

ガス抜き大事。

目の前の人が前を向いて生きていける一発力、

いや違う、一言力。

その気持ちを目の前の人に伝えていくことを、

日常の場面でこそ忘れずにいたいなと思いますね。

スカさずに伝える。

ぷぅっと。

さて、わたくしぷぅ太郎、風の如し、、、


じゃない、、一茶ト(いっさと)の目標。

古来より伝わる古木杉

屁理屈について学び問いたいと思っております、、私の一生をかけてです。

一句。

ガス
抜き
だいじ。

ぷぅっと

2022 初夏

心が疲れきってしまったら、屁こいて寝る。それでだいじょうぶ、まぁなんとかなる。

読んでいただけて、とても嬉しいです。

ありがとうございます。

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