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いま共にある感覚


私が以前関わっていた放課後児童デイに、全盲の子がいました。


放課後等デイサービスとは、6歳~18歳までの障がいを持った子ども達などが学校が終わった放課後や、夏休みなどに利用可能な福祉サービスです。


その子は普段は車椅子に乗って生活していました。他に病気などもあり、日中もたびたび発作が起きていました。言葉でのコミュニケーションも難しい状態でした。


学校の給食でも、食事の時に発作が起きたら、すぐに口の中からご飯をかきだす等の対応をして、

学校の先生方もその子が安全に食事が出来るよう日々様々な創意工夫をされているようでした。




その子を含めた、放課後クラブの子ども達と共にアート活動を実践させていただく機会が数年前にありました。


みんなは夏休みでした。夏休みは、放課後クラブを利用している子ども達の中には、朝から夕方まで1日このクラブで過ごす子達もいます。


その子達との夏休みのアート活動。

私は、その全盲の子がいかに皆と一緒にアート活動に参加することが出来るのかを考えました。

絵画は視覚情報。光の情報。しかし、世の中には視覚障がいを持った方々がたくさんいます。

光のことだけを考えていては、私が関わっている、この全盲の子が楽しく過ごせるアート活動は出来ません。ほとんど無視しているようなもの。


大人は視覚情報で物事の大半を考えてしまいがちですが、実際には様々な感覚がありますよね。



直接触れてみないと、背景までは見えませんし。見えている情報だけで全てを判断することはできない。また、そもそも人は変化の中で生きている。個の性質は固定して捉えることなどできません。


物事には必ず背景がある。事情がある。眼に見えないもの、光に照らされていないものを観ることも大切だと考えます。

様々な事情を持った人がいるということを知るためにも。



視覚に障がいがある方は、真っ暗闇の世界に生きているのかもしれないと、私は昔思っていたのですが、

ですが、後天的に視覚障がいを持った方に聞くと、実際は真っ白の世界の人もいれば、一面が青など、視覚に障がいがあっても、他にも様々な色の世界の人がいるのだと聞きました。


これも当事者の方に聞かなければ知ることが出来なかったことでした。


また、全盲の方で電車が好きだという方は、新幹線などのあまり揺れない電車よりも、普通の電車のようにグラグラ揺れる電車の方が好きだという話も聞いたことがあります。

なぜかというと、新幹線のようにあまり揺れない電車だと、移動しているという感覚を持つことが出来ないから違和感を感じるそうです。


私は電車は揺れない方が好きなのですが、たしかに視覚情報がない状態の時に電車に乗ったのに、揺れなかったり、あまり音がなかったりしたら不自然な感じがするかもしれません。

旅行で出掛けるという時に、移動している感覚を感じることが少ないのは残念です。


また、友人の子どもに色盲と診断された子がいて、その子は「赤を赤」と「青を青」とは感じないのだと友人から聞きました。


赤という色・光は、赤ではない。赤は赤ではない。そう見える人もいる。

世間一般では「赤」だと誰もが呼ぶような色、光も、それが「赤」ではない人もいる。


これも私は友人に聞くまで、当事者の声として詳しくは知りませんでした。



人間の感覚というものが、そもそも、そういうものなのかもしれません。あまり詳しくないですが、クオリアという問題にしても、「赤」は「赤」であっても個人の「赤」の感じ方は異なる。

人それぞれで見え方が違う。捉え方は違う。


そんなことを当事者の方々や、知人や友人に学ぶ中で、私が関わっている全盲の子も楽しむことができ、参加することができるようなアート活動の取り組みを考えて数年前の夏休みに実践しました。



それは「楽器作り」であり、「視覚情報を全てなくして、音や動きを想像する」という企画でした。



以前少しJFAの企画に関わらせていただき、学ばさせていただいたブラインドサッカーの創意工夫も参考にしました(ブラインドサッカーは音の鳴るボールを使ったり様々な創意工夫のあるサッカーです)。



私が取り組んだ放課後クラブでのアート活動では、大小様々な大きさの段ボールの筒に、近くの公園で拾ったり、園芸ショップ等で買ってきた木の枝や葉っぱ、市販の石などを入れて楽器を作ることをしました。


材料を入れたら段ボールの筒を閉じます。


それで、入れた自然素材で音を作ってみる。そんな取り組みでした。段ボールの筒は閉じているので、誰が中に何を、何個入れたかは分かりません。視覚的な情報はそこにはありません。


それで作ったら、みんなで音を鳴らしてみる。ブンブンぶん回して。


男の子は活気あるので、他の子にぶつけそうでヒヤヒヤ。



そうやってみんなで、ダンスに近い感覚で作った楽器を好きに鳴らす。なかには、素材入れすぎてほぼ音が鳴らない子もいましたが。


そして、全盲の子もみんなと一緒にやりました。段ボールの筒に自然素材を入れるのは現場の職員さんと一緒にやっていただいて。


音がガラガラ鳴って、みんなで身体を動かして。ダウン症の女の子は不思議そうな顔をしていました。みんなの不思議そうな顔が、とても可愛かったです。


自然素材で楽器を作って、鳴らすだけのアート活動でしたけど、みんな少しは楽しんでくれてたかなと思います。


私がこんなことをやったのは、同じ年頃の仲間と共にいる感覚を、全盲の子に感じて欲しいと思ってでした。



全盲を持ったこの子は普段、他の子との関わりもあまりない子でした。また、その子と接する中で、その子の意思を知る機会も少なかったのです。

私はこの子が何を好きなのかを知りたかった。また、その好きなことを見つける機会を作りたかった。


そして、まずはこちらから、同じ場に、同じ時間に、一緒にいるのだということをクラブの仲間のみんなで伝えることができたら。共にいるということを伝えたいと思いました。アート活動を通して。


それは視覚情報というより、光というよりは、熱でしょうか。人肌のようなものを。かといって直接触れるということではなく、また視覚的な情報としてでもなく。


楽器の音は、なにが鳴っているのか視覚的には見えていません(段ボールの筒に入れる時には見ていますが)。ブラインドサッカーで、みんながアイマスクをするように、あえて自然素材は段ボールの筒の中に隠して、想像に任せることにした。


ブンブン、ぶん回して、ガチャガチャ何と何がぶつかって、また重力に引っ張られて鳴っている音なのかはアート活動中は見えません。


あるのは、音とそれぞれの動き。響きとモーション。その熱のようなもの。


なんだか、にぎやか。


男の子はちょっとヒートアップし過ぎで楽器を投げそうな勢いでハラハラしましたが。

けど、無事終わりました。



全盲で様々な障がいも重複して持つこの子は、アート活動中に半分寝てる時もありましたけど、作った楽器を手で持って、みんなが鳴らす音に合わせて、一緒に音を鳴らしたりしてもらいました。 



私がこの子の人生の楽しさや可能性に貢献出来たのかは分かりません。

ただ、近くに同じ年頃の仲間がいるということ、同じことに取り組む仲間がいるのだということを、少しでも感じてくれていたら。そんな想いで取り組んだ一夏のアート活動でした。

もちろん、私の想いなんかはどうでもいいので、この子にとって最善の選択となるようなアート活動であったり、ケアであったり、コミュニケーションの方法、社会との繋がりを作るための方法を、この子の、また1人ひとりの気持ちに基づいて今後も考えていきたいと思っています。


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