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仮説・痛覚を転じる

よく怪我をするのですが、

最近「痛覚」に興味があります。

「痛さ」という感覚。

そこで思い出すのが、

現代アーティスト、カディール・アティアの映像作品『記憶を映して』。

去年、愛知国際芸術祭で観ることが出来ました。

失ったはずの身体の部位に痛みを感じる、

幻肢痛(ファントムペイン)の治療をテーマとした作品。

この作品では、身体の部位だけではなく、
トラウマや文化的な喪失も含めて、


「喪失体験」におけるファントムペインの治療や
向き合い方が、

当事者の人やケアに携わる人達の
言葉と共に描かれていました。

作品では、

失った部位や心理的トラウマ等を鏡に映したり、「可視化」して、

その記憶を脳に伝えることが1つの治療法として紹介されていました。

トラウマは、時間が経つほどに大きくなる、

 心の痛みや傷は時間が解決することはなく、


その記憶に向き合う、
可視化する、

喪に服す作業を行うことで、

今はもうその痛みはない
のだということを脳に伝えていく


そのような治療の知見が語られていました。

ファントムペインを癒すことが出来るのは、愛情と文化だけだ。

カディール・アティア『記憶を映して』の作品内より
引用


痛覚という感覚。

人間の痛覚という感覚。

不思議ですよね、生命を守ることにもなりますが、、、痛いのは辛い、、。

身体が痛い、心が痛むという表現もありますが。

心にポッカリ穴が空いたような、

空虚で、カラッぽな、痛さ。

物理的な衝撃による、直接的な外傷の痛さだけでなく、

脳が感じている痛みや、、、、、、

心の働きも。

喪失体験から生じる痛み。

ファントムペイン。


日本の金継ぎは、傷を輝く線へ転じる。

痛みを転じる。

痛覚を転じる、、、ユーモアとかアートとか。

薬で、医学モデル的に痛みを取り除くことが
大切なこともあります



ロキソニンとか大きな怪我をした時は手放せませんし。

しかし、本質的に「痛み」を癒すには、

痛さに向き合う必要性があると、

トラウマは遠ざかる程に大きくなっていく、

トラウマを可視化して脳へ伝える。向き合う。

1つの手段。

そして、痛みに向き合うことで、

痛さを受け入れて、

そこから痛覚を別の何かへ転じる方向性を見出だせるかもしれないと。

アートに転じたり、、、

喪失体験を別の可能性へ、、脱していく。

そんな、拡張される、

可能性の広がりを「レジリエンス(回復力)」と考えることができる。

全人的な健康を損なった体験を可視化して、

そこからの脱却としてユーモアとかアートとか、

それぞれ、自分が置かれた立場から、

全人的な健康感を発露する

そうしたレジリエンス(回復力)、生命力、

その人が生きる力は「アート」ですよね~。

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