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仮説・余白幽玄と龍

余白と幽玄。

自然への畏敬の念を大切にして、
自然と共存してきた日本文化。


Chat GPTに日本文化や江戸時代の龍神信仰について質問してみたら、


日本文化は自然への畏敬の念を持って、
暮らしてきたこと、

また、時にその自然への畏敬の念を感じさせる存在として、「龍」が日本美術的な文脈においても度々描かれてきたこと、

さらにその畏敬の念を感じさせる存在であると同時に、

古くから盛んだった龍神信仰は、自然との共存を目指すものであったことなどをChatGPTが教えてくれました。

龍神は水の神様であり、流転する水は自然現象を司る龍のイメージの源泉になったかもしれないと。

コンセプト=「水の流転×自然現象×畏敬の念」

=龍神?

龍を描いた最初のデザイナーの想像力。凄いですね。

しかし、AI君、日本文化もよく知ってますね~。
漠然とは聴いたことあったり、本で読んだことある
ような話もありますが、

会話形式で知れるとまた記憶に残りますね。


noteにこの話を載せてもいい?
と、
Chat GPTに質問したら、

光栄ですが、私が述べていることが正しいものであるか、十分に確認してから載せることをオススメします
とアドバイスが。

なるほど。

謙虚ですよね~そういうことですもんね、無限に学び続けるAIのこの学習姿勢からも学ぶことが多々あるように思います。

人間も学び続けるために。

ソクラテスの「無知の知」の話を、

10代ではじめて知った時、、、

私は、、自分は、、なんて愚か者なんだと恥ずかしくなりました。

自分が何を知らないかを知らないから、、、自分が無知であることを知らないから学習しないのだと先生から言われて。

「ハッ」としました、そうだったのだと。

自分が無知であることを知っているから、

学び続ける。

無知の知を知る、

自分の弱さや等身大の姿を知ることにも繋がるでしょうか。

頂点の高みを目指すというより、

それぞれの置かれた立場での
その等身大で、一歩ずつ
学ぶことの大切さ、


それを知ることでもあるように考えます。


無知の知という最大の知恵。

努力すること、日々学習することの大切さを知りました。ソクラテスの無知の知の話。

哲学は小学校でこそ学びたかったなと思います。

AIの知識からも多くの学びを人間は得ることができるのかもしれませんが、

現在Chat GPTに質問してて感じることは、その「学習姿勢」からの学びでもあるように私は感じます。

こういう姿勢で学習したり、学習したことをまとめたりするんだなーと。勉強になります。
 

技術は色々進歩しますが、等身大の姿で、一歩ずつ学び歩みを進めることの大切さは変わらないですね。きっと、その道は自分を信じられる道。

龍。自然現象の化身。

壮大な自然への畏敬の念。

水の流転。自然エネルギーのサイクル。

明治の美術教育者・岡倉天心は著書において日本文化について書いていますが、

その中で「龍」についても書いています。


龍、それは「変化の力」である。

と。

※岡倉天心著『茶の本』


あそbeじゅつNo.1マグネットテクスチャーで
遊んだ(作った)

作品の、『ドラゴン七変化』の記事。

ありがとうございます。


楽しくハサミで描いて、

直感的に、
コンポジション(構図・構成)をデザイン。

とっても楽しい、あそbe~ですよ。

と、そこで、

マグネットテクスチャーをホワイトボードで作っていて、

白いマグネットでまた龍を作っていました。

そして、問いが生まれます。

余白。

江戸絵画コレクターで、伊藤若冲などに光を当てたジョー・プライスさんの話を、

昨日5月28日の朝の、日曜美術館で観ました。

「選 東北に届け 生命の美 〜アメリカ人コレクター 復興への願い〜」というタイトルの日曜日美術館のアンコール放送。

もう10年も前の日曜美術館、ジョー・プライスさんの想いが伝わる素晴らしい放送でした。


アンコール放送に感謝。

ふだんTV観ないのですがたまたまTVつけてた幸運。

東日本大震災の過酷な経験で、世界から色が消えたと感じ絶望した、

その被災者の方のお話を聴いたプライスさんが、

私は生命を色で捉えたことはなかったけど、その話を聴いて、はじめて色の価値というものに気付いたのだとお話されていました。

そして、東北の人達に生命の美を届けるために、江戸絵画のコレクション展覧会を開催された。

生命を色で捉え。

江戸絵画。日本美術。

生命の美。

生命の美という言葉に、心が大きく動き、
感じます。


それは視覚的なものだけではないのかもしれませんね。

「色(光)」ですが。

作者の名前ではなく、自分がいいと感じたものを選ぶ。

プライスさんの審美眼。かっこよすぎます。

そして、江戸絵画を観る時に、

「余計な手筆がないか?」を観る。という話も、とても深いお話でした。

江戸の絵師達は、余計なものを描かず、本質を引き出し表現する。

といった意味合いのことをプライスさんは話されてました。 

生命の美。

生命の等身大?
『余白ドラゴン』。

ホワイトボードをキャンバスに、
白い磁石をチョキチョキして、

あそbeじゅつマグネットテクスチャーを作っていました。

余白の龍。

作っていると、
マティスが追求した輪郭線や色彩の
問題にも気持ちが向かいます。


弱い鯉が、滝を登って龍に変身するようなイメージで。

余白龍。

※上の記事は、「あそbeじゅつ」という遊び(美術)のマグネットテクスチャーという、

あそbe~の記事です。

作りながら思い出しました。

京都嵐山・天龍寺で、ある時、巨大な龍の絵を観たことを。

天龍寺の庭園は、嵐山を借景としています。

禅僧であり、日本の歴史に残る作庭家でもある夢窓疎石による作庭が天龍寺の庭です。

同じ嵐山エリアにある苔寺には、夢窓疎石による最古の枯山水、
 
現在の枯山水の原型になったと伝わる豪壮な石組もありますが、、、

そんな天龍寺の「巨大な龍の絵」。

その絵を額縁で包み、

その額縁のガラスに、、嵐山の自然風景を映した展示を、何年か前に天龍寺で観ました。

額縁のガラスは鏡となり、嵐山の自然風景を映す。その奥に龍の絵が。

巨大な龍の絵。その上のレイヤー(積層)に、額縁のガラス、

そのガラス鏡に映る嵐山の自然風景。

嵐山の自然風景と同化した巨大な龍がそこにいました。

たぶん、今も天龍寺に行けば観れます。

四季の移ろいを映す龍。 

額縁は現代だからこそですが、

現代にも継承された精神の、天龍寺の粋(すい)を感じました。

嵐山の移ろい行く自然風景と一体化した龍の絵。


四季の変化が龍に映る。

これこそ自然現象の化身・龍の絵ではないかと感じました。


真龍。

そこで、さっきのマグネットテクスチャーの『余白ドラゴン』を、

赤松の木の下に置いて撮影しました。 

天龍寺の「龍」表現に学ぶ。

ホワイトボード、ツヤツヤしてるから鏡効果があるんです。
細かい雨が少し降ってきたタイミングで、
余白ドラゴンをアカマツの木の下へ。

ホワイトボードに、

アカマツが映り、雨ものりました。

余白とは何か?

江戸絵画に生命の美を観たジョー・プライスさんの言葉を思い出します。

世界の色。生命の色。

余計な手筆がないか?

本質だけを抽出する。

余白。

生命の美とは?

余白に映る自然の移ろい。

そして、日本文化の幽玄への問いも。

日本庭園の奥義に「借景」という技法があります。

近代イギリス式庭園にも「借景」があり、今日一般的に使われる「借景」の意味は近代イギリス式が多いですかね、

庭と、その背景となる「庭の外の自然風景」との連続性をデザインする。イギリス近代の風景式庭園。

一方で日本庭園は、江戸時代に成熟したと考えられる技法としての「借景」があります。


自然と対峙し(畏敬の念を持ち)、自然と共存するための庭のデザイン・意匠。弁証法のようなデザイン(仮説です)。

畏敬の念と同時に、共存を目指す。

龍の存在のような、、、
余白。

本質だけが抽出され。

明瞭な輪郭線が消える。


幽玄。

曖昧なものの中に

揺れ動く、
移ろいの形が現れる。


余白。しろ。
幽玄。くろ。


水の流転。

雲・雨・川。

雲龍。


余白幽玄を問う龍。

日本庭園の奥義「借景」とは?

余白幽玄の間に、自然生命の色(光・想像力)を借りて宿す。四季の移ろいを借りた景(美)。

(仮説です)。



あそbeじゅつマグネットテクスチャーから、

さらに深掘りディグり、あそbe~しちゃいました。


この表現もさらに問い続け、新しい視座を見つけていきたいです。

つぎは、

ケア場面における、現場の人の等身大の姿の ポスターを1人ひとり紹介させていただきます。

そして、この記事で見つけた問いを持って、目の前の人の等身大の姿から学んで、生命の美・自然美を問い、、

現場の人の姿を伝えていきます。

生命の美・自然美。


読んでいただき、ありがとうございます。

※余談ですが、、、

ホワイトボードだけでなく、

ブラックボードは
さらに自然を映しました~。

借景・鏡効果あり。


余白ドラゴンと同じ場所に置いて、
アカマツが映りました。

色の移ろい。

落葉樹の下、庭を回遊すると四季の変化をさらに曖昧かつ明瞭に映しそうですね。

余白幽玄。


ブラックボードに、
マグネットテクスチャー雲竜くん。


試行錯誤・創意工夫。

楽しいあそbe~ですよ~、



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