原点に回帰するドローイング
私が芸術を志した原点の絵は、19世紀末フランスの画家トゥールーズ=ロートレックの絵でした。
ロートレックは、身体に障がいを持っていた画家でした。
それを、からかわれてしまうこともあったそうですね。世の中とことん理不尽で、、。
どこだったか忘れてしまいましたが、
銀座のどこかの小さなギャラリーでロートレックの絵を観て、
それがアートを始めたきっかけでした。
その時に、観た作品は『彼女たちのため』という娼婦の女性達を描いた連作のシリーズでした。
10代の頃ですから、娼婦の女性達の生きざまを直接観るのは、正直とても辛く悲しかった。社会の現実に目をそらしたい自分がいました。
ロートレックが描く、娼婦の女性達の絵から私が感じたのは、なんともいえない人間味の灯った「あたたかさ」でした。
ルノワールの描く女性の肌の質感にも強く惹かれます、女性のプロポーションは美しく、女性の美は素晴らしいです。
印象派が描く風景の光にも強く惹かれます。
ですが、ロートレックが描いた絵画から感じる、なんとも言えない「あたたかさ」、
視覚的な効果ではない、肌触りとして感じる「熱」のようなものに、
私は何よりも強い影響を受けました。
同じように、社会から疎外される人々を描いたドガの絵も素晴らしいですが、
ロートレックの描く「人肌のあたたかさ」のようなものは、私はドガの絵からは感じませんでした。
ピカソが起こした芸術の大変革であるキュビスムは、セザンヌからの影響と共に、ロートレックの描いた「何か」、、、の影響もあると私は考えています。
ロートレックの絵画を観て、私の道は開けました。
誰かのために絵を描くこと、それはロートレック自身にとっても、自分の居場所を作ることになっていったようですよね。
誰かのために生きることで、自分の居場所が生まれた。
現在、岐阜県美術館でロートレック展をやっているようです、あと1週間で会期が終わってしまいますが。
館長の現代アーティスト日比野克彦氏も、
原点のロートレックの絵画を、漠然とイメージしながら、部屋にあった段ボールにクレヨンで、無意識的に手を動かして、ドローイングをした。
描く行為の中に、私の居場所があった。
人の心の切実なもの、
心のかげりに一服の人肌のあたたかさが灯るような、
そんなロートレックが残したような、アートの熱を受けると、
心が原点に回帰します。
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