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仮説・色斑(いろ・むら)

カフェの壁のペンキ塗りをヌリヌリとやっていて、ローラーで平らにならしながら、

ピカソの『ゲルニカ』もペンキで描いたのだったな~とか考えながら、

なるべく色斑(いろむら)が出ないようにと、

思って、ペンキ塗りやってたのです。

そして、これからオープンするカフェの、


まだ電気の通っていない、
トイレの壁もペンキでヌリヌリしていて、

個室の暗い室内を、個室外からライトで照らしながら

(借り物のライトで、ペンキ塗りの際のペンキのしぶきをライトに当てたくなかったので)、


トイレ外にライトを設置して壁をヌリヌリしてたのですが、
ペンキ的シークエンス

暗いので、なかなかよく見えず、天井とか、便器の裏とか大変で、

オマケになんだか天井から水漏れも時々ありで(風邪ひきそう)、

うーん、しんどいと、

けど、なんとか塗り終わって、

ライトを持って点検してると、

けっこう色むらがあって、

明るいとこでやった時は、色むらなくやれたのですが、

当たり前ですが、暗いと全然分からなかった、

そして、トイレ個室は狭く、全体が俯瞰しにくく、

しかし、終わったあとに、

暗いトイレの個室へ証明を持って、明るくしたら、

けっこう気になる色むらがあって、

これは、、、、、これは面白いぞ、と感じ考えまして。
『色斑』

「明るさ」ですね、、

トイレ個室は、暗く、また狭くて全体を俯瞰できない、常に近景の状況だった。

色むらがあまり分からなかった。

明るく、広いエリアは色むらに気付き、意識的に整えることが出来た。

だから、壁の面をフラットに、色むらなく、ローラーで平らにならせた。

お、面白くないですか~。
『色斑No.2』

細部のディテールにもピントがあって、

光がフラットに当たると、細部のディテールは平面化し、テクスチャーに転じる。、

「明るいこと」は、いいことですかね、一般的には
そうかもしれない、


明瞭であったり、

しかしです、
谷崎潤一郎は、著書『陰翳礼讃』において、

日本文化は「あえて翳り(かげり)の傘を作る」
と述べていますが、


漆・金粉、蒔絵や金継ぎなど、
日本の伝統文化芸術、わびさび、
おもてなし、

不足、凸凹、欠けていて、

傷があって、不安定で曖昧で、、、、、、、、、苦しい、

けど、そんな「翳り(かげり)」の中にあってこそ、

そこに差し込んだ光が輝く、色が生きる。

そんな美意識、美学。


ペンキ塗りをやっていて、

明るい場所であったり、光をあてると、色むらが気になって、平らにならそうとしてしまうのですけど、

明るいところだったから気になったのです、

暗くて狭いとこでは分からなかった、

色むらなんか気にならなかった。

何事も、光を当てようとしてしまいますが、

明瞭に、整えて、

私もそれが良いことだと考えていたのですけど、

けど、

暗やみの中で、曖昧で、

いろいろ欠けて、不完全。

色斑(いろむら)だらけで、整ってない、、

そんな、でこぼこ、自然な姿、

不足、欠け、、、欠点とされてしまう性質から伸びる線、

翳り(かげり)に浮かび上がる輝く線。


すべてに光を当てることよりも、

暗くて、狭くて、痛く、悲しく、、侘しい、

誰にもある翳り(かげり)の尊重、

そちらの方が、

1人ひとりの、

その人らしく、あるがまま、を生かせる。

明瞭に光を当てることよりも、翳り(かげり)の傘を広げる方が、可能性の広がりがある、

傷を転じられる。 

と、ペンキ塗りながら感じ考えていました。



狭くて暗いとこでのペンキ塗り疲れた~。
『色斑No.3』

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