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びしょっく02 らーめん

先日、仕事帰りに鶯谷で下車、

目当てのラーメン屋に久しぶりに行きました。

場所は台東区・鶯谷の路地裏。

※20代の頃に出会った料理研究家の人の影響で、まったくグルメではないのですが、食もアートであると認識し、よく外食調査をしていることから書き始めた記事です。

まず、このラーメン屋さんがある台東区。

子どもの頃から浅草、入谷に住んでいた私にとって、この地域は「庭」のような感覚。

鶯谷も家族ぐるみで付き合いのある幼馴染みが駅のすぐ近くに住んでいて、子どもの頃によく駅の辺りには遊びに行きました。

鶯谷駅の近くのお祭りと言えば、入谷の朝顔市がありますが、

地下鉄の入谷駅を出て、昭和通りと言問通りの交差点から入谷鬼子母神前を通って、鶯谷駅の方まで露天がずらりと並ぶ。

入谷朝顔まつり、夏の風物詩。

夏の熱気の中に「涼」を感じる江戸情緒、、。

そんな文化。下町の情緒、人情の、文化がある。

ここで道草ですが、

現代だとサウナと水風呂を行ったりきたりして自律神経が「ととのう」、

その弁証法的な行ったりきたりというか、瞑想の果てに深い覚醒状態に至るようなものを身体全身浸かって物理的に作り出す現代日本の「お風呂文化」のようなものがありますが、

全国の植木市、例えばここで紹介した入谷朝顔市など、

夏の熱気の中に、それを生かして「涼」を作り出そうたした風物詩の、その文化も(朝顔や鬼灯と風鈴がセットだったり)、仏教的な思想から派生していったものなのだろうかと、この文化の解像度を高めたいと考えていまして。夏だけでなく、風物詩という風景について。文化について。

季節の変化を交感神経の活性化に活用し(オートで)、風物を副交感神経としてデザインして「風物詩」の風景を設計してみたり?

うまく言語化できないのですが、サウナと水風呂で「ととのう」というのは、仏教ルネッサンスの一種??。

江戸時代以降、下町に栄えた園芸文化の名残でしょうか、

入谷の朝顔市の他にも、

浅草浅間神社のお富士さんの植木市が今の季節に台東区・千束でありますし、

7月には浅草寺で、ほおづき市もある。

植物を育てるとなると、土地によって風土が違うことを考えなければなりませんが(今度、和辻哲郎著『風土』をテーマにした記事を書きたいです)、

その土地の植木市が開かれる時期というのは、

その市で出揃う植物を、その地域で育てはじめるのに適したタイミングなのだと言いますね。

特に大地で育てる分にはあまり気を使いすぎないで、むしろけっこう雑でいいと思うのですが、

植木鉢というのはやっぱり気を使います、

根から水で溶けた養分を吸って、葉で光合成して。そのいのちが根付く土壌環境はやっぱりしっかり考えたい。

富山和子さん著の『水と緑と土』においては、

土壌の力こそが真の生産力、資源であると述べられていますが(土壌の豊かな力は、人間1人ひとりの必要性に基づいて、それを大切に基盤とする、いのちを育む力だと思う)、

やっぱり肥沃な土壌とまでは言わないまでも、、活力のある土壌を用意してあげたいです、植木鉢の中にも。

かといって、下手に土を変えるのもよくないから、土はほんと奥深いなぁと思います。土の配合とか、考えてるだけで一生楽しめますね。

草木を友として生きることの豊かさ。

陽当たり以上に土壌のあり方を考えたい。

植物の話ですが、人間もそうだと私は思うのです。例え、陽当たりが悪くとも人は力強く生きていけるし、

むしろそれをバネにすることにも、

生きていくことの深い意義があると思うのですが、

しかし、その根をはって生きてくための土壌がしっかりしていなければ立ち上がることも難しい。

いのちの巡り合わせは偶然で、自分の意思とは無関係で、、、誰もが陽当たりがよく豊かな土壌を土台として生きてこられるわけではない。

しかし、そう考えるとフランスの庭園デザインで生まれた「噴水」とか、素晴らしいデザインだと思うのです。

フランスは平坦な地形が多いそうですが、近世までに西洋で主流の庭園デザインは、地形に富むイタリアの高低差を生かしたテラス式の庭園。

イタリアは地形を生かしたカスケード(滝のようなもの)等の水のデザインとか、豊かなデザインがたくさんある。

しかし、平坦な地形が多いフランスではイタリアのようなカスケードは作れないから、水を、その重力に抗って、、立ち上げたと。

打ち上げてやったと。テクノロジーの力で。こんなフランス庭園発祥の噴水のデザインの発想が、すごく好きです。他にもカナル(水路)を張り巡らせて、その地形の平坦さを生かして絵画的なピクチャレスクの風景を築いたりしてる。

フランス式庭園自体は主に絶対王政の庭であり、ヒューマンスケールとは程遠い芸術美の庭ですが、その人工美としての可能性をとことん追求した技術や意匠には学ぶべき魅力があると感じます。それを近代的なヒューマンスケールに生かしていきたいですね。

日比谷公園の鶴の噴水01


噴水。ある意味フランスらしいんですかね。重力に抗って立ち上がる、と。人間の進化の道筋のようではないですか。

日比谷公園の鶴の噴水02

日本の技能、自然をありのまま生かしていく技法が個人的には好きですが、西洋の力強さにも魅力を感じます。

それも選択肢の1つ。その環境ごとのテコの原理、土壌地形を生かす選択肢というものをたくさん開発してく。


さて、下町台東区ですが、


私の子どもの頃の原風景は、様々な人の人生が交差した下町で力強く生きる人々の姿でした。


自宅のマンション前で銃の発砲事件があったり、血だらけの人が路地裏を歩いていたりすることも当たり前にある土地柄。

台東区には山谷もありますし、ホームレスの方々も近所の公園や浅草六区の辺りに、昔はたくさん生活されていた、

どんな人にも様々な背景があり、事情があり、そして、誰もがいまを懸命に生きているということ。


大人になれば当たり前に持っているであろう考え方であると思いますが、それらの言葉の意味がすっと心に染みて肌身で伝わってくる風景を、私は子どもの頃に観てきたのかもしれない。

そういえば、私が尊敬するアーティスト日比野克彦氏は、上野公園のホームレスの方々の暮らしのための仕組みを作ってらっしゃるそうで、そんな素晴らしい活動に見習いたいと思います。

江戸時代、下町の町人の間で園芸文化が芽生えていったと言いますが、

大規模な植木のお祭りがある土地らしく台東区という町の、住宅街の路地裏には植木鉢に入った緑が多いと感じます。

子どもの頃から下町や、町の神社仏閣や植木市に遊びに行き、よく遊んだ幼馴染みには合羽橋道具街の職人の子達がいたりして、

下町や市井の職人的な美学のようなものを「カッコイイ」と覚えていった私。

この土地の精神的風土に影響されてかもしれません。

いまも上野浅草界隈にはよく行きます(そもそも近所に住んでますが)。


さて、びしょっく(美食)とはかけはなれた内容を続けていますが、

そんな下町のラーメン屋で、それこそ有名な「弁慶」さんみたいな素晴らしいラーメン屋さんとか、他にも新しいところもたくさんありますが、、、

ディープな鶯谷の、

それこそ鶯谷にある、ダンジョンのようなラブホテル街の路地裏にある「ラーメン長山」が、私は個人的に好きです。

大好きなラーメン屋さん。ラブホテルダンジョン内の食堂。

よし、久しぶりに不思議のダンジョン系のゲーム、風来のシレンでもやろうかな(またも道草)。。


鶯谷、正岡子規の邸宅跡があったり、ちょっと路地裏を入れば谷中霊園へと続く道が何ヵ所かあったり、

ラブホテル街ダンジョンが住宅街の中にあったりと、何かとディープで不思議なダンジョンうぐいす谷。

ほんと、いい町だなぁと思います。

ラーメン長山

というわけで、ラーメン長山さんに来店しました。


2007年創業のお店。 
鶯谷のラブホテルダンジョンの路地裏にお店を出す心意気に惹かれます。



食券制で、基本は普通のラーメン(醤油)か味噌ラーメンを選択できます。

・ラーメン750円
・味噌ラーメン780円

大盛が無料で、太麺か細麺かも選べます。他にチャーシュー麺等もあります。

味は濃厚。スープは泡立っております。

個人的には太麺の味噌ラーメンが好きです(写真は醤油ラーメンですが)。

味噌ラーメンで一番好きなお店。そもそも味噌ラーメンが一番わたし好きなんですが、その味噌ラーメンで一番好きな味噌ラーメン。ナンバーワンスキ、ミソラーメン。HAHAHA~。

食べてテンションあがります、

スキミソ。スキ!!ミソ!!、、ラーメン。

楽しい。。美味しい。

疲れたら大好きな味噌ラーメンを一杯キメて、また元気に働こうっと。

これでそれでいいのだ。

とても美味しく、大盛ならボリュームもあり(200gらしいです)、そして安いと思います。

接客も丁寧というか、とても誠実。

下町には安くて美味しいお店がたくさんありますが、そうした人情味のあるお店が個人的には好きです。職人的なお店というか。


職人も様々ですが、心意気のある職人というか。

人を人とも思わないような接客態度のお店の店主を心意気のある職人だと私は思いませんが、笑。その仕事のプロフェッショナルには見えないというか(接客も含めてだと思うんですけどね。おもてなし)。

人情の心意気も加味しての「人情味」。が、個人的に「美」味しい。

私は食べたあとにそれを「美味しかったなぁ」と感じます。余韻が店主や店員、、店内全般の感じの悪さのお店は、まぁ美味しくはないですよね。

この余韻が美味しくないと、リピーターにはなれませんし。「また行きたい」って思えない。

「美味しかったぁ、、、、」「、、また行こう。次あれ食べよう、、」。

こころ


明治の美術教育者・岡倉天心は著書『茶の本』において、このようなことを書いてました。

宋代のたとえ話に「三人の酢を味わう者」というのがある、

昔、釈迦牟尼、孔子、老子が人生の象徴酢瓶の前に立って、おのおの指をつけてそれを味わった。


実際的な孔子はそれが酸いと知り、

仏陀はそれを苦いと呼び、

老子はそれを甘いと言った。

岡倉天心『茶の本』


「味」で、それぞれの偉人の思想を表現している。びしょっくな文章。

これを読んだ時にいつも思うのが、

それで、では。

西洋文明のイエス・キリストはこの酢をなめて何と言うだろうと。


孔子のように酸っぱいを「酸いと知る」のか。

仏陀のように「苦いと呼ぶ」のか、

老子のように「甘いと言う」のか。

三人の思想ともに読みますし、好きですし、東洋の思想方が私はしっくりするのですが。イエス・キリストだとどうなるのでしょうと思います。

私はキリスト教にあまり詳しくないのですが、キリスト教から派生した近代以降の医療福祉を深く尊敬しています。

そして、見当違いかもしれませんが、酸味のあるトマトにめちゃくちゃ合うチーズの組み合わせとか、最強の農産物とも言われるワインとか大発明しちゃった西洋文明の、そんな感じで、、。

その酢の酸っぱさを認めた上で、その酢を改良したり、酢に合うチーズ開発して進化させちゃいましょう。とキリストは言いますかね(言わないか)。それとも、もっと清貧でしょうか。

孔子・酸い
仏陀・苦い
老子・甘い

キリスト・酢の改良とチーズ開発

うーん、違うか。ならないですかね、

分からない。

しかし、どうなるのかなぁと。考えてみたいと思うことです。

生クリームだったら、みんな何と言うんだろう。

いまは法然と親鸞、一遍は酢瓶をなめて何と言うんだろう、どうだろうと考えています。

諸方無我でありつつ、キリストに近いのかな。

親鸞、一遍はそもそも実存主義的ですし。ニーチェは超味みたいな概念作っちゃったりして。

超味(ちょうあじ)。

茶の湯、それは「人情の椀」であると岡倉天心は述べている。

人情味を注ぐその心意気こそ、日本の茶の湯の美学であるのだろうか。

びしょっくなおもてなし、人情の椀。

下町のラーメン屋さん、ラーメン長山さんを紹介しました。

ディープで素敵な町、鶯谷ラブホテルダンジョン内の素晴らしいラーメン屋さん。

下町だけでなくとも、心意気のあるお店というのはたくさんありますよね。

人情の一杯を今後も食べていきたいです。

最近、分人という概念について調べているのですが、「人情味」を大切にする、おもてなしのお店の、その分人を自分の中にたくさん持ちたいです。

そのための、びしょっく(美食)を今後していきたい。

読んでいただけて、とても嬉しいです。ありがとうございます(ラーメンの話あまりしてませんが、ラーメン長山さんオススメです)。

次は分人をテーマとした「遺品と分人」についての記事を書きます。

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