「眠る虫」を見た話

映画が終わり、劇場に明かりが灯されるその瞬間そのものに、これほどまでに感情を揺さぶられた経験は初めてだった。

公式Twitterに

「配信やディスク化の予定はありません。体験型シネマ」

と書いてあるように本当に鑑賞"体験"だった。映画館の箱そのものが1つのバスのように思えた。

自分が過去に経験した眠る虫っぽいエピソードの1つに「『信号待ちの間に隣に来た親子の何気ない会話』だけでそこから色々と想いを馳せ、感情が限界になって泣きそうになったりした事」というのがあって、我ながらこのエピソードやそこから受け取った感情やそれを良しと思える感性が好きなんだけれど、本作はそう言った今の尊さや暖かさ的な価値観だけに留まらず、死生観の扱い方に冷たさもあり、とても客観的に描けていたように思えて(俺の上を行っている映画だ……)と感心しっぱなしだった。

しかし先述の"今の尊さ"という部分にはかーなりグッと来るものがあった。上映後の舞台挨拶でも「ここに居るお客さんは一夜限りの乗り合わせた船で~」云々みたいな話があったのだけれど、まさしく自分が感じ取ったものと同じだったのでシンパシーを感じて勝手に感極まって勝手に泣きそうになっちゃった。最初に書いた「劇場に明かりが灯されるその瞬間~」というのもここに繋がる話で、上映中も前に薄っすらと見える6つの頭(ちゃんと数えた)に(この人にも物語があって、けれど今たまたまここで一緒に乗り合わせているんだな…)と想像してしまい、そして劇場が明るくなり、朧気だった輪郭がくっきりと見えた瞬間にその人それぞれの歴史が浮き上がって来た気がして、その瞬間の体験が、映画の終わった後の映画の外にあるものにも関わらず、1番この映画の体験として印象深く刻みつけられた。

バスの座席のように人間には生きている間に席を取る領域があって、そこから見えるもの/見えないものがあって、見えないものにも確かに物語があって、声を上げていて、けれど自分が観測出来るのは他人が持っている領域と自分の持っている領域が重なった瞬間だけ(少なくとも自分は)で、なんというか、すごくしょうもない感想だけれど、もっといろんなものに目を向けないとな……と感化された面もあった。

あと、人間の歴史にばかり想いを馳せてしまったけれど、変わりゆく町並みや石ころなんかにも紡いできたものがあって、そこにも見い出す事が出来て、それをこんな映画の形で発信出来るの、お手上げです。すごい作品だった……

けどやっぱり、1番嬉しかったのはラストの~っていうのは何度も書いたけれど、そこに「自分も居た」事なんだよね。ラストに光がこっちにやってきて、映画が終わって会場が明るくなって、自分も後ろに座っていた誰かに見える光として、登壇していた金子監督やTokiyoさんに見える光として、存在していた事。俺も誰かに勝手に思いを馳せて貰えてたりしたのかな、なんてね。



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