2024/11/15 日記
11時すぎに家を出て、自転車で国道を2、30分ほど漕いで映画館へ行った。ほんとうはバスで行きたかったんだけど前もって時刻を調べなかったせいでちょうどいいのに乗れなかった。観たい映画があった。最近はなんとなく冬の映画が観たい気分がずっと続いていて、このまえFilmarksでたまたまみつけた『国境ナイトクルージング』という映画が、たぶん今の僕の気分に合っているんじゃないかという予感がしていた。映画館の前のバス停に自転車を停めて、目的地である建物の、壁が全部ポスターでできてるみたいな階段を登りロビーに辿り着いた。この映画館はまえに『ゴースト・ワールド』と『悪は存在しない』を観たのと同じ映画館だったのだけれど、今日はその二つのときとは違う、もうひとつの、画面が大きい上映館に案内された。『悪は存在しない』もこっちで観たかったなと少し思った。
その上映回には僕以外にも3人ほどお客さんが居て、それぞれがそれぞれと適切な距離をはかって席を選んだ。左目が悪い僕はいつも真ん中よりもすこしだけ左に寄ったところの席を選ぶ。
映画本編が始まる前に流される予告の中に、フランスのホラー映画のものがあって、大量の蜘蛛がいろんな登場のパターンでわらわらと出てくるのをきもちわりー、と思いながら観ていたら最後にナレーションの低い声で『スパイダー』…とタイトルを告げられて(そのまんますぎるだろ)と心のなかで小さく思うなどした。
いろいろな予告のあとでやっと始まった映画本編は、中国と北朝鮮の国境の街、延吉が舞台で、そこに流れ着いた男女三人がそれぞれ閉塞感を抱えながらも、つめたい冬の景色のなか暖をとるみたいに交流していく物語。晴れた冬の日の下で、国境のフェンスに沿って歩く3人の画が美しかった。物語のなかを通奏低音みたいに流れる倦怠と諦めの空気が僕は好きで、“今の僕の気分に合っている”ような予感はそんなに外れていないみたいだった。ところで映画の濡れ場って誰が喜ぶんだろう?
映画館ではいつも、長いエンドロールが終わり部屋が明るくなると、みんな素早く準備して席を立つ。僕はそういうときいつももたもたと準備するせいで真ん中より少し左の席で一人取り残されてしまう。さっきまでみんな一緒に同じ物語を共有していたはずなのに、とか、僕はいつだってさびしいのでそういうことばかり思ってしまう。飛行機とかもそう。「もうシートベルト外していいよ」の合図でポーン、という音が鳴ると、みんな一斉にせかせかと席を立つ。さっきまでおれたち一緒に空を飛んでたんだぜ?と思う。お笑いとか音楽のライブも同じだ。まあでもそういう、知らないひとと微妙につながれる時間が好きでもあるんだけれど。
映画館を出たあと、家に帰る気分でもなかったので近くをぶらぶらと散歩した。ダウンのアウターを着て、リュックを背負いながら歩いていると、身につけているものが多い分なんとなく護られているような気持ちがしてくる。映画を観たあとのふわふわした気分もそれに加担していたかもしれない。そのまま近くにある喫茶店に入った。建物の2階にあるその喫茶店に入るため、狭い階段を登っていくのがなんだかすこしどきどきした。
そこで持ち歩いていた文庫本を途中まで読み、少し暗くなってから帰った。国道の上を移動する光の列に逆流するみたいに自転車を漕いだ。今くらいの時期に外に出たときの、顔と手だけがつめたい感じがとても好き。
最近はすこしだけ生活を立て直すことを始めている。いつのまにか音も立てずに、気がついたら崩れていた生活を。映画を観にいくこともそのまま喫茶店に入ることもじつはその一歩として考えている。はやく雪が降らないかな。降るといいね。急に終わります。じゃあね、またね。