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ダサいかダサくないかは自分で決めたらいい、って言える自分になるんじゃなかったの?

簡単なことで、
自信をつけたいなら何かを続けて
結果を出せばいい。
まぁこれも、
言うは易し。なんですが

自信なんてそう簡単に身につくものではないし、
そう簡単に何かを続けられるわけでもない。
そして続けたものが必ずしも誇らしいと思えるかはわからない。
とんだ博打人生だな。


ことば
やっぱり私には言葉しかない

私は正しくないけれど、正しくありたいよ
誠実に、やさしくなりたい

もう先々月で社会人3年目に突入してしまったわけですが、
いろんなひとや社会と仕事をしてきて、
仕事って手を抜こうと思ったらどこまでも手を抜けるんだな、そんな大人って山ほど居るんだな、って痛感した。
そんな人間にはならない、とこんなこと思わせてくれるなよ。
真面目なひとほど都合よくつかわれるし、優しいひとほど傷つけられる世の中で、
真面目であろうとすること、優しくあろうとすることが間違っているかのように感じてしまうけれどそんなことはない。
見ているひとは見ている。
なにより自分が1番見ている。
どうか自分に嫌われない自分で居ようじゃありませんか。

’’やすむこと、ひといきつくこと、たいせつなメンテナンスの時間です。
もう眠っているひとも、まだ眠れないひとも、眠らないと決めているひとも、
誰にとってもやさしい夜でありますように。’’

なんて言葉自分以外の誰かには掛けることができても自分のことはいつまでも許すことが出来ないな。

3月から、本当に仕事が忙しくなってしまって
あらゆることの決定権を握るようになって
そんなことを任されていい人間じゃないのに、と
先の見通しが立たないこんな時、不安の渦の中で藻掻いてしまう。
「助けて」が苦手な分、「助ける」を頑張ってしまう。
「頑張りたいこと」よりも「頑張るべきこと」が山のように積み重なっているようで、全てが崩れてしまう前に全てをやめてしまおうか、とも思うけれど
それでもだれかに迷惑をかけることの方が怖くて、
なにひとつうまくやれていない気がして、
なにひとつ自分を褒められない。
でもそれは自分はうまくやれる、と信じてこれでも努力してきたから、なのもわかっている。
きっとうまくいく、を信じて進むしかないときもあるんだよな。
ひとりで背負うには重たすぎる荷物だとしても、
背負わなければならない状況なら、いつだって私は背負い続けることが出来ていたし、
今回だってきっとそう。
しんどい時期っていつかはきっと終わるから。

強さって、弱さを捨てることじゃないです。
弱くて脆くてどうしようもない自分を知りながらも前を向こうとすることです。


そういえば、文章量に自信がないといったとき、
「大事なひとが一生懸命作ってくれたオムライスなら多少卵が崩れていたって、愛おしく、おいしく食べようとおもえるでしょう。
似たようなものだと思います。言葉も。」と言ってくださった方が居た。
私はこの言葉に何度も救われたし、この言葉に今も生かされている。


毎日明日が不安で仕方ないの、
いつもずっと根底にあるこの気持ち、最近はそっと隠すのが上手くなったと思ってたんだけど
なぜかふと溢れてきてしまう、
期待されるってこわい、
だけど、期待もされない方がきっとずっとこわい
ぼろぼろのまま眠ってぼろぼろのまま起き、
ぼろぼろのまま生活をしてぼろぼろのまままた眠るの繰り返し過ぎる

また助けて、って言えなくなってきていること
自分でも気付いてはいるんだけど
その対処方法を私はずっと知らないから

でもさ、前だけ見なくていいよ、無理やり涙を拭わなくていいよ、
泣いてても後ろ向いてても前には進める


でもこれはどこかで読んだことがあるんだけど、
「先が見えないから不安になるのではなく、先ばかり見ようとするから不安になる。」が心理なんだと。
メンタルが乱れるのって先のことを考え過ぎて不安になっているときだし、メンタルが弱るのは過去に執着しているとき。
未来でも過去でもなく今を大事にすることがどれだけ大事なことか、病まない秘訣なのか、
なんでわざわざ傷つきに行くの?って言われてハッとしたり
大丈夫になれてるって思ってたのに、こんなに脆くて折れてしまう心しか私は持ち合わせてなかった


逃げるのはいつだって簡単で、それでも諦めなかった先に
明日はある気がする


今月、始まったら終わるから、きっと大丈夫
いっしょに生きようね

ほら、4月もちゃんと終わった
大丈夫だったよ
いっしょに生きてくれてありがとう

私の文章で人生が小さじ1杯だけでも楽になりますように、そんな思いを込めて記事を描いています。 サポートして下さった貴方と、いつか珈琲が飲めますように⋆͛☽.゚