かわいいが正義と言うのなら、かわいくなりたいという気持ちも正義でしょ

整形は魔法ではない。
施術を受ける人は皆相当の覚悟をして行っている、私はそう思います。
実際に受ける人が抱える重みを知らないのにどうして整形を否定できるの?

私は整形に賛成、というかその人が納得して使えるお金でその人が幸せに生きられるなら整形は悪じゃないと思うんです。
自分が嫌でも毎日見ないといけない顔を少しでも好きになれるように、少しでも自分の顔を気にしないで写真に写れるようにするためなら別にいいじゃないですか、
他人に何も迷惑かけてないでしょう?
匿名で他人にメッセージを送ることが出来たり、
自分の素性を明かさずとも、他人のことを傷つけることが出来るこんな時代。
発言の自由があるから、といって本当になんでも言っていいと本気で思っているのですか?


私がよく見るYoutuber、「整形アイドル轟ちゃん」
轟ちゃんの動画を私はよく見ます。
それは、轟ちゃんが伝えたいことがまっすぐ伝わるから。
轟ちゃんが選ぶ言葉は、その過去を乗り越えてきたひとにしか紡げない言葉だと感じます。


この世界は、かわいいが正義だと言われます。
かわいいは善で、不細工は悪だ、と。
それなのに、整形はズルだ。と的にされることがいつまでも無くならない。
整形は魔法ではないのに、
それだけで人生が変わるわけじゃないのに、
それで過去に言われた言葉が消えるわけじゃないのに、
整形をしたからといって絶対に自分がなりたい顔になれるわけではないし、
施術中の麻酔で、事故で命を落とすことだって後遺症が残ることだって十分考えられます。
整形という選択は、それだけのリスクを抱えています。
それなのになぜ、

本来は変えられるはずのない顔が、他人に否定されていいはずがない。

轟ちゃんが書籍を出版しました、
轟ちゃんの味方が出来るのは轟ちゃんだけだから、
あのときの轟ちゃんに、どんな言葉をかけてあげればよかったのか
どんな言葉が轟ちゃんを救うことが出来るのか
自分が1番かけてもらいたかった言葉を、本にすることが出来たんだろうな
いっぱい読もうと思います。


「粘土をいくら綺麗に造形してもリカちゃん人形にはなれないし、整形ってそんなものだよな」

この言葉はきっとひとつも間違っていません。
私がどうしても自分の顔が見れなかったとき、どこかで見つけた言葉です。
何回整形を繰り返したからといって、自分の思い描くリカちゃんのようなおんなのこにはなれないんだと思います。
それは、自分の顔がアップデートするたび自分の理想もアップデートされるから。
理想を追いかけて、追いつかなくて抜け出せなくなる。
なりたい自分を目指しているのに、いつまでもなりたい自分になりたくて
勝手に目指し始めたのに、勝手に疲れて動けなくなってしまいます。
私は未だにずっとこの呪いに縛られ続けています。


最近いつもより自分の顔が嫌いで、鏡を見る度泣いてしまいそうになります。
この気持ちを貴方は味わったことがあるのでしょうか、
なかったらいいな、私は貴方の顔が世界一だと思っています。
化粧なんてしなくていいと貴方は言うけれど、それはきっと貴方がみんなに顔がかっこいい、かわいいと言われてきたからです。
貴方には化粧をする理由がない。
化粧なんかに頼らなくても貴方は生きていける、生きることを許してくれるひとが居るはずです。
自分が生きるのに許可なんていらないでしょ、って言われるかな。ごめんねまだ自信が持てないんです。
顔を上げて歩いていい顔がほしい。
ひとにかわいいと言われなくても自分で自分のことを見れるようになりたい。
この呪いはどうしたら解けるのでしょうか、
「こうなりたい」という理想はきっと大切なもので、自分の理想の姿が決まっていれば化粧をすることも服を選ぶことも、わりと頑張れるんだと思います。
だけど、全てに自信を失ってしまって目指すものの姿が迷子になってしまったら、なんにも出来なくなってしまいます。
呪いが頭から離れなくて、あぁ解けない。
ねぇ、勇者さん。教えてくれませんか、


自分を責めることはものすごく楽です。
自分が悪いと思い続ければいいだけです。
だけど、自分を責めたことがあるひとは自分を許すことの難しさも知っているんじゃないかと思います。
思わず足が竦むような、つらくて寂しくて冷たくて苦しい真っ暗な夜を知っているひと。
そんなひとにしか救えないひとがたくさんいるんだと思います。
貴方にしか分からないそんな夜を乗り越えて、今まで生きてきてくれたんですね。
毎日たくさんのありがとうを伝えます。
貴方が生きていることが、私にとっての燈台となる。
私がなりたかったのは貴方なのかもしれない、なんて言葉は重いかな。
結局今日なにが言いたかったのか分かる?私分かんない。

自分のことが誰よりも嫌いな私が、誰かの言葉を力に変えて自分の正義を信じてみようと思ったお話でした。

なにかが嫌いになりそうなときは、綺麗に見えるところまで離れてみればいい、と誰かに教えてもらった記憶があります。
少し離れてみれば、私のこのどうしようもない顔も見れるようになるかもしれません。
見たくないような傷も闇もピントが合わないかもしれません。
きっと見たくないものを見ないようにすることは決して逃げでもズルでもありません。
だけど、見たくないものに立ち向かって起こした行動が整形だとしたら。
逃げでもズルでもないんです。
そのひとの選択の重さがどれほどのものか、分からなくてもいい。
ただ、否定をしないでくれませんか。
自分の身体にメスを入れたいひとなんて居ないはずです。
苦渋の決断を、他人の人生を誰かの言葉で壊さないでください。
お前になにが分かるんだ、と思いますか。
それとも、お前の選択は逃げだと思いますか。

正直私は毎日不安に囲まれてなんとか生きています。
貴方が感じなくていいようなことで悩んだり、
ひとつひとつの選択がとても大きいものに感じます。
だけど、私は確かに逃げてはいません。
逃げているように見えるでしょうか、
楽をして、いろんなことをさぼって、のうのうと暮らしているように見えるでしょうか、
私は自分の弱いところを見つめられる力を手に入れる為に、一生懸命休んでいます。
3ヶ月経って、なにも進んでいないように感じるときもあるけれど
自分の伝えたいことを言葉にすることは1度も辞めていません。
自分を守る為にしたことが逃げだと言われてしまう世界です。
おかしいと思うんです、
自分の意見が100%正しいなんてことは言わないけれど、誰かに否定される筋合いも無いんです。
誰かがなんと言おうと、私の正義は私のものです。
そして、貴方の正義は貴方のものです。
自分の意見を曲がることなくまっすぐに描くことが出来るこの場所を私は本当に大事に思っています。
私が今回使った言葉は、普段あまり使わないようにしている言葉を選択しました。
理由があります。
優しい言葉を使って描くことが出来る文章を、わざとこんな言葉で描きました。
まっすぐ伝わると思ったからです。
まっすぐ伝えると、この文章をここまで読んでくれている貴方が感じることがなにかあるかもしれない。そんな希望を込めました。
この文章で貴方はなにを感じましたか、小声でいいです。どうか、教えてください。
用いる言葉でさえ、選択肢のひとつです。

少しずつでいいので、いろんなことに対して嬉しい選択肢を増やしてみませんか。
貴方が毎日笑顔で生きられるような世界に、どうか私も混ざることが出来る日が来ますように。

私の文章で人生が小さじ1杯だけでも楽になりますように、そんな思いを込めて記事を描いています。 サポートして下さった貴方と、いつか珈琲が飲めますように⋆͛☽.゚