やさしいひとになりたい。
自分が知り得る限りでもたくさんのひとがいる中で、なにが"普通"なのか、わからない。
小さな輪の中で、それぞれの個を大切に、尊重することができたら、、
世界がやさしい空気で満ちていってほしいと思う。
このnoteでは、ADHDについて触れています。
先にこういうことを書くこと自体がナンセンスかなとも思うのですが、開いた後では後戻りできないので先に言っておきます。
ADHDであるひとと、そうでないひとという風に分けて考えるのもどうかなと思うけれど、考慮した方がいいと言うひともいるかも知れないし、そうじゃないひともいるだろうし、それぞれの程度とか違いとかいろいろあるから、なにが正解かわからないし、そもそも正解なんて有りはしないんだろう。
だからこそ、個人対個人で付き合っていけたら良いのかな、と思います。
・・・
少し遡って春。
新しい年の始まりで新入社員の方が多かったからだろうか、ADHDという病名を見る機会よくあった。
この名前を知る事によって、
このひとはこういうことが苦手なんだな、じゃあこういう言い方でこれを頼んでみよう
みたいなことがわかるようになったひともいるかと思う。
これによって、生きやすくなった人がいたらいいなあと思うし、これからもそういう風に進んでいってほしいと願っている。
一方で、その名前を知る事になって、"これに当てはまるひとはADHDです"みたいなものを目にすることも多くなった。
読んでいると、あーこれ当てはまるな〜みたいなことが、わたしにもある。
比べるものでもないし、"普通"も"一般"も全然そんなものはないし、程度の違いもあるから、一緒にするなという意見もあるだろうけど、
だれだって、苦手なことはある。
だから助けてね〜というのは甘えだと言われれば、そうかもしれない。
けれど、きっとそのひとなりに苦労があっただろうし、向き不向きがあるなら、向いているところを伸ばすのも悪くはないと思う。
当たり前だけれど、みんながみんな、全部をできるわけじゃない。ひとりで全てをやれるひとなんてそうそういない。
だとしたら、自分ができて、ひとが苦手なところはやればいいと思う。
名前を持っているひとに対してはもちろん、ただ単なる苦手を持っているひとにも、手を差し伸べることができたら、。
小さなやさしさで少しずつ空気が変わっていくといいな。
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第3期、最後の記事でした。お付き合いいただいた皆さまありがとうございます。
音声配信のにぎやか回とひとりごと回の差があって、なんともまとまりがないですね。でも、そのどちらも自分であるわけで、イイねやリツイートではない、自分の言葉を書く場所があって、とてもありがたいなあと思います。
考えるきっかけをたくさんくれた週1noteのメンバーの方々、お疲れ様でした。
きっとまた、お会いしましょう。
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