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○顔のことを言う

「化粧してる?」という言葉が、褒め言葉じゃなくなったのはいつからだっただろう。
中学や高校生の頃、親戚に聞かれる「化粧してる?」はどちらかと言うと褒め言葉だった。「そんなことしなくてもそのままで十分なんだからしなさんな!」という意味で使われていたからだ。
しかし、大学生以降この言葉はおそろしいものになった。
特に同年代に言われた時は、ぐっと急所を突かれた気がする。
「化粧してる?」の言葉の裏に、勝手に
「え、なんで化粧してないの?素顔で十分勝負できるっていう自負があるの?」
という意味を見出して責められる気持ちになるからだ。
ただ、あながち考えすぎではないと思う。確かにそういう時の女子の目は、鋭かったから。

化粧については、した方がいい、とかしない方がいい、とかするならお値段はるやつにした方がいい、などいろいろな意見がある。そして、その数だけ宗教がある。
大学生の頃、ニキビや吹き出物ができてもそのまんま放置していた自分は、決して「素顔で勝負してやるぜ」と思っていたわけではなく、ただ肌に化粧品を滑らせた時のあのつっぱる感じ、何かに覆われている感触が気持ち悪いという、七五三で駄々をこねる子どもみたいな心境だった。でもそこに、勝手にいろんな意味付けをされてしまう。それが化粧の悩ましいところで、話の合う女ともだちでも、化粧品などの趣味嗜好についてはあまり深入りしないようにする、そんなきらいがあの頃確かにあった。

しかし、最近それがなんだか変わった気がする。
というか、むしろ化粧や顔のことを笑いながら話せる機会が増えてきたようだ。
先日、友人とカフェで話していた時のこと。「最近肌荒れめっちゃひどくてさあ、みんな何塗ってんの?」と一人が言う。そこから、今使っている化粧品のこと、人生でいちばん酷かった肌荒れの話、「いい化粧品はやっぱりいいよ」と秘密を打ち明けるようなこそこそ話、目をひんむくような化粧品の値段の暴露…などが飛び交った。
ある友人が、百貨店の化粧品売り場で「肌チェック」をした時のことを教えてくれた。
「肌チェックって初めてやってもらってんけどさあ、機械を当てる前に、BAさんに『今の肌の悩み』を予め伝えるの。私は『乾燥が気になっている』って言ったんだけど、機械当てて調べたら……まさかの『オイリー肌です』って言われて」
彼女は鼻を触りながら言う。
「カサカサしてるのが気になる…みたいに言ったのに、まさかの肌べちゃべちゃやったっていう…めちゃくちゃ恥ずかしかったわ」
その可笑しみに、私たちは遠慮することなくけらけら笑う。


肌や顔のことを笑い話にできるのは、大人になったということなのかもしれないなあと思う。中学生や高校生の頃ならば、こうはいかなかったはずだ。
あの頃の私たちにとって、顔のことを言われるのは自分を批評されることとほぼ同義だった。今は、歳月がたって「なんだかこの判断基準はどうやら必ずしも頼りにならないぞ」と経験的に知ったのかもしれない。私たちは、時に自分の肌質さえ気づけないような「不完全な存在」だということを知っている。だからこうして笑いながら話すことだってできるのだろう。

そう考えて、ふと気づく。
何というか、「自分がどうの」という視点を、みんなゆるやかに失いつつあるのではないか。
これを、歳を取って「自分より大切なものができつつある」という喜びととらえるべきだろうか。それとも、「日々自分をないがしろにしてしまっている」という悲しみと見るべきだろうか。

こんなことを言うと「まだまだだろ!」と先輩方に怒られそうだが、これは生きてきた年数に応じたごほうびみたいなものなのかなあ...と思ったりした。

(からだの感覚を取り戻す 48)