見出し画像

○無理があるんだ二足歩行

腰、という部位がいまいち掴みきれない。

子どもの頃は、そもそも腰がどこなのかよくわかっていなかった。
「腰に手を当てて」と言われた時に手を持っていくのは、「お尻以上、胸以下」という曖昧な位置だった。「なんとなく…ここ?」といった感じで触ったその部分は、今思い出してもどこか心もとない。

そんな腰が存在感を発揮してきたのは、中学生になってからだ。
キッカケはそう、「腰痛」である。
幼い頃、大人が「腰が痛い~」と言うのを聞きながら、その「大概の大人が言っている度」や「動くのがおっくうになるっぽい状態」を見て、「腰が痛いとはなんだか厄介なことらしいぞ…」と思ってはいた。
しかし、実際に腰痛らしきものが現れたとき、予想していたのとは違う意味でおどろいた。
あれは忘れもしない、部活後にへとへとの身体で家路についた時のこと。
急に、腰に激烈な違和感が走った。
なにこれ?なんか、立っているのがこわい。というか、あぶない気がする。
不安になって握りこぶしで腰を軽くポンポン叩く私に、友人が言った。
「どうしたん?腰痛いん?」
…え?これ『痛い』って言うの?
痛みというより、強烈な違和感。
感じたのは、このまま同じような体制でいると取り返しがつかないことになりそうだ、という漠然とした恐怖のある感覚。
おどろいた。これも「痛み」に分類していいのか。
これをみんなは「腰痛」と言っていたのか………。
今となっては「痛い」という表現を普通に使っているけども、慣れるまではずっともやもやしていたのだった。

「四足歩行をすると腰痛にならない」という話を聞いたことがある。
確かに、人間の全身の骨格図を見るとよくわかる。
人間、頭、でか。
そして視線をそのまま下にやると、おわんのようにでかでかと広がった尾てい骨がある。
頭を大きくしてしまったぶん、尾てい骨を大きくしてなんとか支えようとしたのはわかるが、そこで上半身の重さを一身に受け止めようとすること自体に、無理がある気がする。ほとんどの人間が大人になると腰痛に襲われる意味がわかる。
腰、責任追いすぎだよ。
猿を見ろ。
猿の全身の骨格図を見ると、人間よりも頭が小さい。そして、尾てい骨も同じように小さい。その分背も小さいけれど、なんというか「身の丈に合った生活」みたいな感じがする。
もうこれでいいじゃん。こういう生活でいこうや。だいたい、頭という絶対的に大切な部位を地上約160センチ以上持ち上げようとするのって冷静に考えると結構やばい。
…というような、人間に不利なことを発言すると「でも人間は立ったおかげで両手が使えて、道具も使えるようになったんだよ。その分頭脳が発達したんだよ」とか言う人が出てくる。でも、正直言うと猿もたまに立って歩くし。手で上手にバナナむくし。
偉そうぶるだけじゃなくて、人間もたまには猿を見習えばいいと思うのだ。
もう、いっそ腰を休めるために、人間も四足歩行の期間を設けませんか。
人前でいきなりやると驚かれるので、まずは手始めに部屋の中だけ四足歩行とかどうでしょうか。ただ、すべての家具は二足歩行用に作られているから、まずはその概念を取り去るところから始めてみて…
みたいなことをつらつら書いてしまうのは、私がいまどうしようもなく腰痛に襲われているから。

(からだの感覚を取り戻す 43)