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○人類共通の記憶があるなら


年末、飛行機に乗るためにある空港の待合でぼーっと座っていた。すると、左斜めに見知った背中がある。声をかけると、お世話になっている本屋の店長だった。その人は南に行くという。私は北なので真逆だ。年の瀬に、しかも同じ時間に正反対に向かう飛行機を待っているという事実をおもしろく感じる。搭乗までお互い時間があったので、だらだらと取りとめもない会話をした。神戸空港は飛行機よりも海の上の船の方が多く目につく。
「飛行機ってさ、眠くなるねん」とその人は言う。「ねむい?」「うん。もう、乗った時から。ていうか、席に座った瞬間が一番眠い。離陸するときとか、大概いつも寝てるもん」「へえー」
そう言いながら、自分も離陸の時はよく寝てるな、と思う。飛び立つために急に速度が上がって、ぎゅんと背中を押される感覚で起きることもしばしばだ。
「なんで眠くなるんでしょうね」「さあ。それまでは搭乗準備とかで気が張ってるから、無事に乗れて安心するんちゃう?」「あー。ちょっと電気も暗い気するし」「そうそう」
結局その話はそれで終わって、店長は沖縄行きの飛行機に乗り込んでいった。

その後、機内に乗り込んで離陸を待っているとき、私は実際に身にもたれてくる眠気と闘いながら考えていた。
確かに、なんでこんなに眠くなるんだろう?
機内が狭いから?電気が薄暗いから?それとも人が密集して、機内の温度が高くなるからとか?そうか、もしかしたらこの空間全体なのかもしれない。薄暗くて、狭くて、筒状で細長い...。
そこで、ふと「電車で眠くなるのはなぜか」という話題を思い出した。
これもよく言われる話だが、結局のところあれは「電車の振動と音が、母親の胎内にいた時と似ているから」と結論付けられていた気がする。
そうか、もしかしたら飛行機で眠くなるのもこの説と似ているのかもしれない。(確かに温度とか形状が、どことなく胎内を思わせるような...)
これを友人に話すと、「筒状のところとか、ちょっと産道ぽい感じあるもんね」という答えが返ってきた。「トンネルみたいな細長くて暗いところって、実はみんなどこかでちょっとずつ産道を思い出してるのかもね」
ほほう、と顔がほころんだ。
みんな共通で持っている、産道の記憶かあ...。
なんだかロマンを感じる。

その会話以後、私は事あるごとに「これも産道の記憶かもしれない」と考えたり、「みんなが実は同じ記憶持ってるっておもしろくない?」と人に話したりしていた。

しかし、そうしたふわふわした考えは突如終わりを迎える。
最近、雷に打たれたようにあることに気づいたのだ。


...帝王切開組、産道通ってなくね?


帝王切開で、文字通り「お腹から出てくる」赤ちゃんは、産道を通っていない。
共通の産道の記憶、ない!
それに、よく考えれば他にも色々な理由で産道を通らず誕生した赤ちゃんも確実にいる。
ショックだった。
我に返ると、乱暴にひとつの論に落とし込もうとしていた自分が怖くなる。


「みんなが通ってきた道」「全員が本当は持っている記憶」みたいな話はロマンチックで素敵だ。
なんというか「結局はみんな仲間だよね!」という希望っぽい道筋を示してくれる気がする。

でも、人はもうすでに生まれる時からみんなそれぞれ違う状況にいて、中には、他人からは想像できないような壮絶な経験をしている人もいる。
遺伝子などの様々な問題が出てきている現状を思えば、これからは生まれ方もっと多様化していくだろう。
そう思うと、共通の身体の記憶なんて、そもそも不可能なのかもしれない。


でも、と少し考える。


もしかしたら、飛行機や電車の心地よさは、もっと遠くの時代の記憶なのかもしれない。
例えば、人類にすらなっていなかった頃、水中から陸に上がってきた生物としての記憶が...


なんて考えてしまうのは、少々ロマンを持ちすぎだろうか。


(からだの感覚を取り戻す 50)