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○装飾品を身につけて

三内丸山遺跡に行った時のこと。
台風迫る日に訪れたものだから人はほかに一人もおらず、夕刻だということもあって辺りはどんどん暗さを増し、すぐ近くに夜が迫っていることを告げていた。
空を覆い隠す雲が、台風のスピードで瞬く間に流されていく。
高い建物がないので(何せ竪穴式住居だから)その動きが一段とよく見えて、空を見上げているだけなのに少し酔った。ラピュタじゃないけど、地球が大きな一つの乗り物のような気がしてくる。寒さと暗さが迫る中で森の中を見ると、まるで向こう側から何かが見返しているようだった。長居せずに屋内に戻ることにする。
隣接する比較的新しい資料館には、そこでかつて生活していた人たちの装飾品が展示してあった。髪飾りやペンダント的なこまごました品がほほえましい。子ども用の解説には「お母さんはおしゃれさん」と書いてある。勾玉などを身に着けて笑っている人形もいる。それらは呪術や金銭的なやりとりの他、プレゼントにも利用されていたようだ。
それを見ながら、「ああ、人はこんなに昔からずっと、『これをあの人に身に着けさせたい』という気持ちがあったのだな…」と思った。

 最初にそのプレゼントを見た時、友人は「うわー!なつかしい」と笑った。そして「これ、学生の時めっちゃ流行ったよね」と言う。それを足首に沿わせながら、「学校とかで禁止されてても、足首に着けて逃れてた子とかいたよね」などと話す。
ここで言う「これ」とは、ミサンガのことだ。
覚えているだろうか。サッカーワールドカップによる効果なのか、爆発的に流行った代物がミサンガだった(2000年前後だった気がする)。それをつい最近思い立ち、店舗で探し(なかなか見つからなかった)、買い求め、友人に贈ったのだった。
ミサンガといえば、友達同士でお揃いのものを付けたり、部活のメンバーで色違いのものをそろえたり、彼氏彼女間で送り合ったりしていたという、どちらかと言うと青春の淡い思い出とセットで思い出される「なつかしい」ものだ。なので、今回それを渡した際もなんだか少し笑いを含んだ反応だった。
しかし、わざわざ今回探し回ってミサンガを贈ったのはなつかしさからの動機ではない。それには、実はある切実な動機があった。

ここ数年は雨や台風による災害がとても多い。どこか「他人事」でいられたのはもう前の話で、いつどこで何が起こるかわからない。被災した。避難を余儀なくされた。そんな話を友人から聞く機会も多くなった。中でもある友人から電話で状況を聞き、血の気が引いたことがある。「車走らせてたんだけど水がどんどん上がってきて、だんだん前に進みにくくなってきて…たぶん、あれ以上水位が上がったら車浮いてたと思うんだよね」。もし、言う通りになっていたら。車から脱出できなくなり、そのまま…なんてことも安易に想像できる。
以前読んだ本に、「水害の後に見つけ出された遺体は、その姿からはとても本人確認ができない」という旨の記述があった。損傷が激しく、普通の状態ではないという。その中で、あるエピソードが目に留まった。「遺体の足に自分が贈ったミサンガがついていて、それで唯一あの人だとわかった」。
別に相手がそうなると言っているわけではない。でも、気持ちの中では、できるだけ大切な人全員にミサンガを付けてほしいという気持ちでいる。もちろん、それが役に立たないことを一番強く願いながら。

三内丸山遺跡で、大昔に植物で編まれたアクセサリーを見ながら、なぜか私はその一連のエピソードを思い出していた。縄文の人々も、あの自然の中で、暗い夜の中で、誰かを思ってアクセサリーを作ったのだろうか。どんな形でも自分のもとに帰ってきてほしいと、そう思ったりしたのだろうか。


(からだの感覚を取り戻す 38)