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〇「食べるの好き?」って聞かないで


飲食ライター勤務初日。
自己紹介を手短に済ませ、着席する。「ここが自分の席か…」と感慨にふける間もなく、先輩ライターからこう聞かれた。
「食べるの、好き?」
ん、と言葉に詰まる。
「えっと…あ、はい」
そう答えると、その人は「そっか、よかったー!」と言った。「この仕事やっていく上で、そこが好きなら大丈夫!」みたいなニュアンスが滲んでいる。
その笑顔を見ながら、私は今しがた自分が言ったことを反芻していた。
…そっか、私食べるのすき、好きなのか。うん、まあ、嫌いではないな。そうだ。だからまあ、食べるの好きってことでいい…
…いいのか?
自分は、食べることが「好き」なのか?
食べることなんて、日常の中で当たり前すぎて好き嫌いを考えたことなかった。
というか、食に「好き」とか「嫌い」っていう判断基準があるのか?
「食べること」は生きていく上で必要不可欠な行為だ。そこを「嫌い」になってしまうと、生命の存続が危ぶまれてしまう。じゃあ、そもそも嫌いな人っているのか?
また、「好き」と言っていいにしても、はたして「嫌いじゃないし好きって言っとけばいいか」みたいな軽いノリで「食べるの好き」チームに入ってしまっていいのだろうか?

なぜここまでめんどくさい思考に陥っているかと言うと、先程「食べるの好き!」を公言する社員同士の会話を聞いてしまったからだった。
「○○さん、こないだ言ってた□□の店って行きました?」「あ、行きましたよー!やっと予約取れて」「いいなー!どうでした?」「よかったですよ!せっかくだからと思って8,000円のコースにしました」「いいなー!ランチだったらそれぐらいで行けるんですね」「そうそう。ディナーだっともっとしますもんね」…
ら、ランチに8,000円!?!?
ひえー!と思った。普段昼ご飯を500円におさえようとしている身からすれば目ん玉飛び出るほどの額だ。
だって、食べたら消えるのに!?
8,000円使っても、夜にはお腹がすいてしまうのに!?
しょ、食が好きな人おそるべし…!
そこまでお金も情熱も注がないと、「食が好き」とは言えないのか…?
という具合に動揺しながら、勤務がスタートした。

初めて取り掛かったのは、某グルメサイト内の文章だった。お店の特徴を4つ挙げるコーナーで、うんうん唸っている私に先輩がこう言った。
「お店の記事を書く時のポイントは色々あるけど、私が大切にしているのは3つ。料理、立地、お店の雰囲気」
うんうん、と聞きながら、最後のひとつが引っかかった。お店の、雰囲気?
自分がお店を探すときには「料理、立地、値段」を中心にしていたので気にも留めていなかった。そうか、一般的には「お店の雰囲気」って大切なんだ。まあ、接待だったら静かなところとか、飲み会だったら明るい雰囲気とか、確かに大事だもんな…。
そうして「雰囲気にも言及する」とメモを取った数日後、私はそもそもから考えを改めることになる。

それは、「採用専用のHPを作りたい」というあるお店を取材したときのことだった。
「どんな人に採用受けてほしいですか?」の質問に、オーナーは「気付ける人」と即答した。
「マニュアルじゃないんです。例えば、お喋りな常連さんがいたとして、でも、その日はたまたま元気なかったとしますよね?そこで、それでも店員がいつもみたいにどんどん話しかけてしまうのはどうかなって。そっとしておいて、向こうが話したくなったらそれに耳を傾ける。そういうことに『気付ける人』がいいなと思います」
なるほど、と相槌を打つと、オーナーは重ねてこう言った。
「僕らも、こうやってお店の雰囲気を一つひとつ本気で作ってるんで」
わあ、そうだったのか...!と驚いた。
お店の雰囲気は、料理の次に、もしくは同じくらい力を入れて作り上げている重要な部分だったのだ。

そのことを頭に置いて飲食店を見回すと、確かにどこもそのお店ならではの雰囲気を感じる。
高級感のある店には、そこにいるだけでうっとりとしてしまうような優雅な装飾、接客がある。
カジュアルな店には、リラックスして食事ができるBGMや、ほどよい距離感がある。
「そうか」と、ここでやっと気付いた。
食が好きな人は食事をしているのではない。
「食」という行為を体験、経験しているのだ。

思えば、自分だって一つの舞台に8,000円使うことや、テーマパークに同様の額を使うことがある。
食を「経験」と捉えれば、その値段にも納得できるのだった。

そうか、食は経験だったのか...!
その衝撃を感じながら、「食べることが好き」と自己紹介するには、まだまだ時間がかかりそうだと思うのだった。


(食欲をさがして②)