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2023.12.28「あの森に行ってはいけません」

はじめに

今日は2023年12月28日。
4年前の今日、小林賢太郎演劇作品『うるう』が東京グローブ座で初日を迎えました。

12年前に初めて観た時から、私は『うるう』の世界にすっかり囚われてしまいました。
2024年の2月29日を迎える世界に、もう『うるう』はありません。
それでも私にとって「うるう年のうるう日」は特別な日で、それはこの作品に出会ったたくさんの人たちにとっても同じだと思います。
来年の2月29日を迎えるまで、少しでも『うるう』という作品に想いを寄せていたい。
そんな気持ちで、うるうアドベントカレンダーを作ることにしました。

うるうは2012年、2016年、2020年に上演されました。
それぞれの公演回数は、48回、41回、29回。どれも『うるう』にとって特別な数字です。
そこで、2020年に公演が行われた日付に合わせて、2月29日までの29日間、『うるう』という作品についての文章を書いていきます。

うるうアドベントカレンダーでは、29個のテーマを設けて文章を綴ります。
テーマは物語をなぞるように、冒頭から順番に『うるう』にまつわるモチーフやキーワードを拾っていきます。
基本的に作品の内容を前提とした文章になるため、未見の方はお気を付けください。



あの森に行ってはいけません
うるう という
オバケが出ますから
高い 高い 木の上で
うるう うるう と
ないている
オバケが出ますから

それはいったい、どこにあるんだろう。
この作品を初めて観たその日から、いつも「あの森」を探していました。


重なる森

初演の2012年、再演の2016年、そして再々演の2020年と、その森は少しずつ姿を変えていきました。

2016年に絵本『うるうのもり』が生まれたことで、再々演では絵本の挿絵がさまざまな形で取り入れられました。
精緻に描かれた絵によって『うるう』の世界が今まで以上に色づいたように感じられました。

再々演以前の記憶は朧げなものになってしまっていますが、初演~再演の『うるう』は、もう少し抽象的で幾何学的なモチーフが多用されている舞台でした。

初演~再演においては、冒頭の詩が現れるとともに、幾何学模様のような森が舞台上に映し出されました。

このような幾何学模様の木が
いくつも重なって不気味に見えた記憶

あくまで自分の記憶を再現したものですが、単純なデザインの木がだんだんと重なっていき、黒く塗りつぶされていった覚えがあります。
チェロの怪しげな響きの中で森が暗く深まっていくような演出に、他では出会ったことのない物語が始まる予感がしました。

この作品には「重なり」が様々な場所でモチーフとして扱われています。
舞台上の背景にはいくつものパネルが重ねられ、チェロの音色はルーパーによって幾重にも重なって作られていく。また物語そのものにも、「重なること」が大切に描かれています。
この初演~再演における森の演出も、森の奥深くへと足を進めていく中で、木々の枝や葉が重なってだんだんと光が失われていく、そんな不気味さを感じるものでした。

森へ分け入る

2020年の再々演では、舞台と客席の間に幕が下ろされました。『うるうのもり』の見返しに描かれた森が一面に施され、冒頭に映し出される森の姿もこの挿絵と同じものになりました。

幕が現れたことで、劇場に入った瞬間から私たちの目の前には鬱蒼とした森が広がりました。
風に揺れる木々の葉音や鳥たちの鳴き声が静かに響くなか、客席から眺める森は、まだ入り口を閉ざしているように見えました。
幕の向こうから足音と調弦が聴こえ、チェロの旋律とともに幕が開き始めた瞬間から、その響きにいざなわれるように森に分け入っていく。再々演ではそんな感覚を覚えました。

開演前、幕の後ろからマイクを通さずにチェロの調弦が小さく聴こえる時、『うるう』のポスター撮影時の話を思い出していました。森の中で実際にチェロを弾くと、音が反響せず、すべて木に吸い込まれていったそうです。
遠くからかすかに聴こえたチェロの音が劇場全体に響き渡って作品が始まる瞬間は、森の中から生まれた『うるう』の物語が私たちを包み込むように広がっていくようでした。

異界としての森

「あの森に行ってはいけません」の詩は、森は危険だから行ってはいけないよ、という注意の言葉として、マジルの先生が子供たちに伝えた言葉とされています。
しかしこの詩そのものは、古くからの言い伝えのような怪しさをまとっています。オバケが住む人間界とは隔たった場所として、森という場が怪しく恐ろしいものとして浮かび上がってきます。

人間とは異なる存在、この世のものではない存在の棲む「異界」として森を恐れる感覚は、世界中に存在しています。
日本において、多くの森はいわゆる「鎮守の森」として畏怖の念を抱かれてきました。神社を囲むようにして存在する森はそれ自体が神域として、自然崇拝の対象にもなってきました。
一方で「森に住むお化け」というイメージには、遠野物語などで描かれている野山に住む妖怪や怪異が近いかもしません。
ヨーロッパにおいても、森は人の手が及ばない恐れの対象として、グリム童話などの舞台として多く描かれています。
グリム童話では、多くの登場人物が森に入ることで物語が動き出します。絵本『うるうのもり』の冒頭において主人公の「ぼく」が森に入っていく様子は、こうしたグリム童話の構造にも重なるものがあります。

『うるうのもり』が森の外に住む「ぼく」の視点で描かれる一方で、演劇作品『うるう』は森の中のヨイチの視点で物語が進みます。
森の外にいる我々の側からではない、人間社会から隔たった彼の視点で物語が紡がれる点が、森を異界として描く多くの民話やおとぎ話とは大きく異なっていると感じます。
だからこそ、『うるう』の森は怪しくも優しいのかもしれません。

森の奥へ

ヨーロッパの森のイメージを描いた作品の一つとして、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルの『ロンド』という歌曲があります。

【歌詞の対訳】

国も時代も遠く離れていますし、登場する怪異の名前が多すぎますが、歌詞の描く物語からは『うるう』を想起させられます。
森にはさまざまな妖怪や神話上の生き物が住んでいるが、人々の手によって森から彼らは消えてしまった。
「老いた女/男たち」といった大人は、森に住む異界の者たちの恐ろしさを歌います。
しかしそのあとに続く「若い娘/青年たち」は、森に住む者たちが大人によって追い払われてしまったことを嘆いています。

この歌はラヴェル自身によって書かれています。森に住む者たちへの恐れ以上に、彼らがいなくなってしまったことへの悲しみを歌に乗せているようにも聴こえます。
(奇しくも今日はラヴェルの命日です。)

うるうの森に住む「オバケ」も、この歌のように大人たちの手によって、森の奥深くへと追いやられます。
けれどマジルにとってはこの森が、大人たちとは全く別のものに見えていたはずです。

あの森に行ってはいけません
うるう という
オバケが出ますから
高い 高い 木の上で
うるう うるう と
ないている
オバケが出ますから

この詩は『うるう』という作品を象徴するかのように、終盤にもう一度舞台上に映し出されます。
その時、言葉の一つひとつが冒頭とはまったく別のものとして私たちに響きます。
森に足を踏み入れてヨイチが生きる世界を知ったマジルと私たちは、もうこの詩を語る大人たちとは同じ場所に立てなくなっています。
私たちは、彼が「うるう うるうと ないている」理由を知ってしまった。
「オバケ」という言葉が木の上の彼のそばで映し出されるたびに、とつぜん森の外側に引き剥がされたかのような、どうしようもない苦しさを感じていました。


12年前、中学生の頃にこの作品を初めて観てしまった私は、それからしばらく少し取り憑かれたようになってしまって、通学路の向こうに見える林や山を毎朝ぼんやりと眺めていました。
それ以来、森の奥から戻れなくなったような気持ちのまま、毎年2月の終わりが近づくたびに、うるうのことを考えたり、うるうに関する事柄を調べ続けていました。
そうして考えてきたことを文章に起こして、少しでもこの作品を愛する方々と分かち合いながら、初めてやって来る『うるう』のないうるう日を迎えたいと思います。




【うるう日記】2019年12月28日

「うるう日記」では、自分がちょうどその日付に観た『うるう』に関する当時の記憶・感想・日記を書いていきます。(自分が観劇した日のみのコーナーです)
この人、観すぎでは?と怖がられる気もしますが、時効として流していただければと思います。

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2019.12.28
うるうだ!と感じる暇もなく、ただうるうの世界に呑み込まれた。
音楽や演出の違いを冷静に見極める自分がいつつも、純粋に物語に呑み込まれる感覚。
畑のシーンで魔法にかかったような感覚に陥り、後半どんどん感情を引きずり出されていく。
「ひとりになりたがるくせに、寂しがるんだね」が聞こえた瞬間の震え、戦慄とはこのことだと思う。その瞬間にうるうという作品の最後の扉が開いたような、何もかもが自分の体に流れ込んでくるような、強烈な感覚を得た。
最後にカノンが流れてきた時の感覚や、待ちぼうけの歌い方は愛していたそのままで、まだ待ちぼうけとカノンがおそるおそる重なっているようだった。
2人が向き合って暗転した瞬間、言いようのない、泣き叫びたくなるような感覚が喉の奥から迫ってきた。
終わった後もとにかく包み込まれているようで、このまま眠るように消えたいと思った。この感覚の中で消えてなくなるのが一番いいと思った。

・カーテンコール
「お久しぶりです。4年振りに帰ってきました。今日はすごい晴れてたね、僕らはこういうのを初日晴れと呼んでいます。....初日なので芸の荒いところもありましたが.....温かく迎えていただけて。各地方を回らせてもらいます。またどこかの街でお会いできると嬉しいです」
3回目で徳澤さんと小林さんがハイタッチをして抱き合った。そして8歳のマジルと手を繋いで去っていった。


ポスターが4枚貼ってあって、4枚もあって嬉しい!と思った


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