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2024.1.11「宮澤賢治」

うるうアドベントカレンダー5日目。
今日は1月11日。
4年前の今日は、うるう札幌公演一日目です。


ツルものでもできないかと、ヤマブドウのツルにからすうりの実をぶら下げてみたんですよ。
そしたら違和感が無すぎて、何にも感じない。
何でも面白い、というわけではないようです。


からすうり、という単語を聞いて、この作家のことを思い出した人は多いのではないかと思います。



宮澤賢治(1896.8.27 - 1933.9.21)

宮澤賢治はヨイチの生年の36年後のうるう年生まれです。

(「澤」は「沢」の旧字体に当たるため、現在の教科書などでは「宮沢賢治」と表記されることが多いですが、出演者のお二人の名前が一文字ずつ共通しているところが好きなので、「宮澤賢治」と記載しています。)

『うるう』には、宮澤賢治の作品を彷彿とさせるモチーフがちりばめられています。
からすうりは『銀河鉄道の夜』の中で、銀河の祭に明かりを灯して流すための実として用いられています。もともと宮澤賢治作品を好んで読んでいた自分にとって、からすうりといえば『銀河鉄道の夜』でした。
ちなみに、畑の場面で舞台上に現れる植物の中にはツルの中にまるい実がなっていて、あれはからすうりなのではないかと思っています。

宮澤賢治を感じるモチーフは作中に無数に存在するため、挙げればきりがありませんが、ここでは特に大きな共通点と思われるものを取り上げてみます。

エスペラント語と宮澤賢治

『うるう』の中で最も宮澤賢治とつながりが深いモチーフは、おそらくエスペラント語ではないでしょうか。

『うるう』の中のエスペラント語については上の記事でも取り上げましたが、ここでは宮澤賢治という作家とエスペラント語の関わりについて取り上げたいと思います。

宮澤賢治は1922年ごろからエスペラントの独習をはじめ、1926年から人について学んでいました。当時上京中の彼が学んでいた丸ビル内の旭光社には、多くのエスペランチストが出入りしていました。

賢治はエスペラント語の詩「エスペラント詩稿」を8編残しています。文法的な間違いが多い点からは、賢治自身は個人授業を数回受けたのみで、実際にエスペラント語に接する機会は少なかったことが伺えます。

日本語の作品群においても、賢治はさまざまなエスペラント語を作品内に用いています。
有名な「イーハトーボ」という彼の造語は、語尾がエスペラント語風になっています。賢治作品に登場する固有名詞には、このようなエスペラント風の造語が多く見られます。
ヨイチが父親代わりの木々に名前を与える時にエスペラント語を用いている点は、賢治の物語における命名と共通しています。

植物と宮澤賢治

『うるう』との共鳴は、森の植物や畑の描写にも感じられます。

子どもの頃から植物や鉱物の採集が好きだった賢治は、盛岡高等農林学校で土壌学や地質学、植物学を学び、卒業後も研究生として地質調査の依頼に関わっています。
東京からの帰郷後は花巻農学校で教壇に立ち、土壌・地質・鉱物・気象・農業などと共に植物学を教えていました。

羅須地人協会

教師を退職後、賢治は「羅須地人協会」を設立し、農業技術や農業芸術論の講義を行っていました。羅須地人協会を設立した頃から、賢治自身も自ら畑を耕し始めました。

羅須地人協会に賢治が書いた黒板

植物に対する科学的な視点を農業に実践することを目指した賢治の姿勢は、やはり呉村先生の存在やヨイチの実践的な野菜の栽培に通じるものを感じます。

山男

宮澤賢治作品の中には、ヨイチのように人間の世界と隔たった野山の中に住む存在が登場します。それが「山男」です。

山男は山の中に住む大男の妖怪・怪物として日本中に伝承が残っており、柳田國男の『遠野物語』でも多く取り上げられています。
『遠野物語』においては背が高く眼が光っているという特徴が描写されており、宮澤賢治の作品に登場する山男も類似した外見を持っています。

『遠野物語』の山男は人をさらうような恐怖の対象として描かれています。しかし宮澤賢治の描く山男には、恐ろしい怪物というイメージがあまりありません。
山男が登場する宮澤賢治には『山男の四月』『狼森と笊森、盗森』『祭の晩』などがあります。

山男は、金いろの眼を皿のようにし、せなかをかがめて、にしね山のひのき林のなかを、兎をねらってあるいていました。

宮澤賢治『山男の四月』青空文庫より引用

これらの物語に登場する山男は、町の若者にいじめられているところを助けられてお礼に薪を差し出したり、町の商人にだまされて薬の姿に変えられてしまったり、少し間の抜けたところのある、人間的な存在として描かれています。
この点は、恐怖の対象である伝承の中の山男とは大きく異なっています。
また『狼森と笊森、盗森』で村人に粟餅をねだる山男は、森に住む者というよりは、森そのものが人の姿で現れた存在のようにも捉えられます。

森に住んでいるという点以外、姿や性格はヨイチとは異なっていますが、山男という怪物のような存在を優しいまなざしで人間的に描いているという点は、『うるう』における「うるうのオバケ」への視点にも重なるように感じられます。

最後に宮澤賢治の『おきなぐさ』から、山男が登場する場面を引用します。
うさぎや山鳥を狩る姿が多く描写されている山男ですが、この場面からは彼の柔らかな感性を感じ取ることができます。

また向こうの、黒いひのきの森の中のあき地に山男がいます。山男はお日さまに向むいて倒れた木に腰掛けて何か鳥を引き裂さいてたべようとしているらしいのですが、なぜあの黝ずんだ黄金の眼玉を地面にじっと向むけているのでしょう。鳥をたべることさえ忘れたようです。
 あれは空地のかれ草の中に一本のうずのしゅげが花をつけ風にかすかにゆれているのを見ているからです。

宮澤賢治『おきなぐさ』青空文庫より引用

うずのしゅげとは岩手の方言でおきなぐさのことです。うずのしゅげの綿毛は空へと旅立ち、やがて変光星になるという物語です。


「うるうる」

ちなみに、宮澤賢治の作品には独特のオノマトペが数多く登場しますが、その中には「うるうる」というものがあります。
ここに作品の一部を引用します。

おもてにでてみると、まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって、まっ青なそらのしたにならんでいました。

宮澤賢治『どんぐりと山猫』青空文庫より引用

掠奪のために田にはひり
うるうるうるうると飛び
雲と雨とのひかりのなかを
すばやく花巻大三叉路はなまきだいさんさろの
百の碍子にもどる雀

宮澤賢治『春と修羅』より「グランド電柱」青空文庫より引用

うるうるしながら苹果に噛みつけば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
野はらの白樺の葉は紅べにや金キンやせはしくゆすれ
北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる

宮澤賢治『春と修羅』より「鎔岩流」青空文庫より引用


【参考文献】
原子朗『宮澤賢治語彙辞典』東京書籍、1989年
宮城一男, 高村毅一『宮沢賢治と植物の世界』築地書館、1989年
佐藤竜一『世界の作家宮沢賢治 : エスペラントとイーハトーブ』彩流社、2004年
大沢 正善 監修ほか『宮沢賢治とエスペラント展』宮沢賢治学会イーハトーブセンター・宮沢賢治イーハトーブ館、2022年


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