2024.1.18「ヨイチ」
うるうアドベントカレンダー9日目。
今日は2024年1月18日。
4年前の今日は、うるう広島公演2日目です。
マジルに先に名乗られて、彼は初めて名前を明かします。
昨日はマジルという名前について取り上げましたが、今日はヨイチという名前について考えたいと思います。
余一
ヨイチ、という名前にはいろいろな漢字を当てはめることができます。
彼の特徴から考えると、一番最初に思い当たるのは「あまりの1」という意味での「余一」、「4年に一度しか年を取らない」という意味での「四一」といった当て字ではないかと思います。
(同級生たちにはやし立てられていた時には「世一」という言葉と掛けられています。)
劇中の背景映像では「ヨイチ」と表記されていましたが、グッドデザインカンパニーを特集したデザインノートでは、唯一「余一」と表記されていました。
それではヨイチが生まれた当時、「余一」という名付けは実際に存在したのでしょうか。
古事類苑の姓名部には、以下のように記載されています。
「餘」は「余」の旧字体です。つまり一郎、次郎、と順番に名付けていった場合、11人目からは「余一」「余二」と名付ける場合があるということだそうです。
以上の引用から、「余一」という名前は現実においても用いられる名前であったようです。
しかし、ヨイチに兄姉が10人いたという推測は、現実的でないように思います。
1920年の時点で80歳であったと思われる彼の父親(註1)はヨイチが生まれた1860年時点では20歳ですから、ヨイチに10人の兄姉がいたとはあまり想像できません。
与一
「あまりの1」という意味においては、やはり「余一」と書いてヨイチと読ませるのが一番自然なように思えます。
しかしヨイチが生まれた時から「あまりの1」という運命を背負っていたように捉えるのは、あまりに残酷すぎるのではないかと感じてしまいます。
これは個人的な願望のようなものですが、両親が彼に与えた名前は「与一」だったのかもしれないと想像しています。
(ちなみに「与一」といえば那須与一が有名ですが、彼の場合は十一男の通称であり、前項で取り上げた古事類苑における「余一」の名づけと同じ意味を持っています。)
ヨイチは父親が不老長寿の研究をしていたために、4倍の寿命を授かりました。
特別な力を与えられたという意味で彼の両親が「与一」という名前を与えたのだったら嬉しいと、私は思います。
少なくとも彼の両親は、ヨイチのことを「あまりの1」などとは捉えなかったのではないでしょうか。そう思いたいという気持ちがあります。
彼が社会生活においてどのような字で「ヨイチ」を名乗っていたのかはわかりません。
ただ少なくともこの作品内において、あくまでも「ヨイチ」とカタカナで表現されるその名前は、決して「あまりの1」という残酷な意味だけを含んだものではない、と思います。
余談:余市
ところで現実世界で最も良く知られた「ヨイチ」は、北海道の地名「余市」町ではないでしょうか。
ということで行ってきました。
余市はアイヌ語の「ヨイチ」を由来とするようです。日本歴史地名大系では以下のように紹介されています。
つまり温泉のある場所、という意味を持つ地名という説があるようです。
一方で余市町図書館にあった『余市町郷土史』には、「ヨイチ川」という地名について以下のように記載されています。
「蛇が多くいる」という意味を持つ「イオイチ」が元のアイヌ語とされています。
それぞれの説で「イウヲチ」を取るか、「イオイチ」を取るかという違いがありますが、アイヌ語の響きが変形した地名と考えられている点は共通しています。
余市町図書館はかわいい建物でした。
余市町は宇宙飛行士の毛利衛さんの出身地なので、このような記念館がありました。
その時は来館者が自分だけだったようで、わざわざ一人のためにアトラクションや映像作品を流してもらいました。ありがとうございます…
余市といえばニッカウヰスキー蒸溜所が有名です。おいしいウイスキーを買いました。
余市にはワイナリーもあります。余市でトマトとバジルのマルゲリータを食べるという目標のために3キロくらい歩きました。おいしかったです。
よいち大好きフェスティバル
それは誕生日が4年に一度しか来ないヨイチに愛と感謝を伝えるために、森の動物たちが年に一度開催するフェスティバル
【註】
1:第一回国勢調査のあった1920年時点でのヨイチの父親と呉村先生の会話で、父親は「私は80ですから」と話しているため。
【参考文献】
余市町教育会『余市町郷土史』1933年
古事類苑全文データベース https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien 参照2023-1-16
『日本歴史地名大系』ジャパンナレッジ、https://japanknowledge.com/library/ 参照2023-1-16
【うるう日記】2020.1.18 広島公演2日目
広島公演に行く予定はなかったのですが、突然深夜バスを取り、朝バスの中でチケットサイトを開いて当日券を取りました。取れなかったらどうするつもりだったんだろうか。
広島城で大変うるうな内容の展示をやっていました。暦に関する展示が見られてよかったです。
劇場の近くの喫茶店が大変うるうでした。
・一番前の下手、2012.2.25と同じ位置。当日券の見切れ席とはいえ一列目はびっくりする。
草の間からヨイチを観ているようで、照明が上から射すのがはっきり見えた。本当に美しい。
ヨイチはヨイチとしてそこにいたし、マジルの方を見ているのがはっきりと分かった。
・「ぼく、まつぼっくり。…それでは話が変わってしまう」
・日記に「マ、ジ、ル」と書いてからもたくさん書いている。
・はやし立てる子供に対して「一番下はもはや僕を見ていないよね」
・穴に落ちる時は舞台の上に横に転がっていた←この場面は劇場のサイズによって客席まで降りるなどの変化がありました。
・「私は混乱した」のシーン、あえて弦を体に絡ませていた(そのあと、うまく切れず)
・「もう来ないのかなあ」のあと、以前まで上手の椅子でうなだれていたのが、下手の段上にのぼって座っていた。その姿が「まちぼうけ」そのもので泣いてしまった。
壇上に座ってじっとしていた。あれはよく見える丘のような場所なのだろう。
・手をつなぐ前に、口を動かして「大丈夫」と言っていた(心配しているのではなく、安心させる言い方)
次の公演は豊橋公演の4年後、1月22日です。
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