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2024.1.13「フクロウ」

うるうアドベントカレンダー7日目。
今日は2024年1月13日。
4年前の今日は、うるう札幌公演3日目です。


うるう? なあに、それ?
うるうってなく、オバケ? へえ。学校の先生が、そう言ってたのか。
あれのことか?
(うるーう うるーう)
フクロウだよ。

学校の先生が話した「うるうとなくオバケ」は、森の中で鳴いているフクロウのことだと、彼は少年を諭します。



うるうの森のフクロウは、「うるーう」とチェロの音で鳴きます。
この怪しげな鳴き声が、『うるう』という作品の空気感を形作っているようにも感じます。

フクロウのイメージ

フクロウには昔から、さまざまなイメージを抱かれています。最も広く知られているのは、「学業の守り手」としての知的なイメージでしょう。
これはギリシャ神話におけるアテネ、ミネルバの従者としてのイメージであり、絵本や童話における「物知りなフクロウ」というキャラクターもここに由来すると考えられます。


一方でフクロウには不吉なイメージを抱かれることもあります。中世ヨーロッパにおいてフクロウには「魔女の従者」「死の招き手」というイメージがありました。
こうした不吉なイメージの根底には、夜行性の鳥であること、また独特の鳴き声で鳴くという特徴があると思われます。
『うるう』に登場するフクロウの怪しげな鳴き声は、こうしたイメージに共通していると言えます。

フクロウの鳴き声

フクロウの鳴き声を不吉な象徴として捉えた文章は世界中に存在します。
中世の時代、フクロウの鳴き声は「悲しみに沈んだキリスト教徒の心の象徴」と表現されています。またシェイクスピアの様々な作品において、その鳴き声は不吉な出来事の予兆として描かれてきました。

日本においてもフクロウの鳴き声は不吉なものとして恐れられていました。

柳田國男の『野鳥雑記』によれば、鹿児島県ではフクロウのことを「トックオ」と名付け、子どもがわがままを言ったときにはフクロウが「この人取って食おう」と鳴く、と伝えられていたと言います。
この点は、ヨイチがマジルに対して言った「取って食いやしないよ」という言葉と重なります。昔から多くの人々にとって、フクロウの鳴き声はオバケのようなものだったのかもしれません。

フクロウ:ulula、叫ぶ:ululo

このように人々に強い印象を与えてきたフクロウの鳴き声は、各地でフクロウそのものの呼び名の由来にもなっています。
中国語でフクロウを表す「流離(リュウリ)」という単語があります。この単語はふくろうの鳴き声が由来と考えられています。
また日本においても「仏法僧(ブッポーソー)」「ぼろ着て奉公(ボロキテホーコー)」など、鳴き声に当て字をした呼び名がふくろうに名付けれています。

フクロウという意味を持つ言葉のひとつに、ラテン語の"ulula"(ウルーラ)があります。
英語のowlの由来にもなっている単語ですが、この単語の由来をさらに調べると、「遠吠え、叫ぶ」という意味を表す"ululo(ウルーロ)"というラテン語に突き当たります。

エスペラント語の記事で取り上げた「ulul」という単語も、これらの単語に由来すると考えられます。
こうした「うるう」によく似た響きの単語たちも、他のフクロウを表す単語と同様に、その鳴き声の響きから生まれたものなのではないかと推測されます。
そのように考えると、やはりうるうの森のフクロウが「うるーう」と鳴くのも、まったく不思議なことではないように思います。



アメリカワシミミズク

ところで、うるうの森にいるフクロウはいったいどの種類なのでしょうか。

『うるうのもり』のフクロウ

再々演で映像にも使用された『うるうのもり』の挿絵であるフクロウは、おそらくアメリカワシミミズクであると、フクロウに詳しい方が公演当時に書かれていました。

アメリカワシミミズク

しかし、アメリカワシミミズクは主にアメリカ大陸に分布する種のため、日本には存在しないはずの外来種のフクロウです。
もしこのフクロウが日本の森に存在したとすれば、飼育されていたものが逃げて森に住みついたのかもしれません。

うるうの森に住むフクロウが、本来その森に存在しないはずの種であったとすれば、ヨイチという存在と重なります。

上の記事でも触れたように、『うるう』という作品には不自然なもの・異なった存在というモチーフが繰り返し登場します。
この森に住むフクロウも「ないはずの1」であったと考えると、この物語の底の見えない引力のようなものを感じずにはいられません。



【参考文献】
柳田國男『定本柳田國男集 第22巻』筑摩書房、1970年
福本和夫『フクロウ : 私の探梟記(教養選書 ; 48)』法政大学出版局、1982年
飯野徹雄『フクロウの文化誌 : イメージの変貌(中公新書)』中央公論社、1991年
飯野徹雄『フクロウの民俗誌』平凡社、1999年
デズモンド・モリス『フクロウ : その歴史・文化・生態』伊達淳 訳、白水社、2011年
マリアンヌ・テイラー『フクロウ大図鑑』山崎剛史, 森本元 監訳、緑書房、2018年



【うるう日記】2024.1.13 札幌公演3日目

北大植物園の木々

かでるホールの目の前には北大植物園がよく見えました。前日の演出の変化が衝撃で、上演前の記憶がありません。以下は当時のメモ。


8年間の記憶を失いたくて、開演前ずっと目を閉じていた。チェロが聴こえて幕が開いて「あの森に行ってはいけません」が出てきた瞬間、自然に涙が溢れていた。チェロの響きと、あの文字と、この空気、空間 これは紛れもなく私が人生で一番愛している作品だと思った。
記憶の中にある全ての感覚が共鳴するような、もう一度うるうに再会した感覚だった。何度やってもこうなるのだろう。
真正面の席で観られて、音響も良かった。席によって音響の印象が全く違う劇場だった。

・千秋楽だからかヨイチがいつもより元気に見えた。

・グランダールボとの会話の時に一つ一つをかみしめるような言葉、そこからずっとすごかった。マジルを振り払うヨイチの苦しみが一番近くに伝わってきた。

・森の幕の裏からチェロが聞こえるのは、ヨイチがマジルのチェロを聴いたのと同じ体験をさせてもらっているような感覚があった。

・黒く荒い筆致のフクロウの目や羽根、木々 子供の頃に読んだ怖い絵本の挿絵のよう。
それがクラスメイトたちの恐怖を追体験させてくれているようで、彼らの恐怖に寄り添っている。

・ふくろうおばけ後の水、東京では自分でとってたのが札幌では本当にマジルに持ってきてもらうようになった。

・幕裏から渡してもらった水を飲んで返してから、「お前もくるんだよ」と言ってマジルを幕裏から呼び出す→マジルに水を渡してもらっている感じが嬉しかったし、マジルがアドリブに答えているように見えた。マジルは紛れもなくこの作品の出演者で、そう感じた瞬間泣いていた。



ホテルの壁で遊んでいた影絵



次の更新は広場公演の4年後、1月17日です。

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