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2024.2.20「フクロウおばけ」

うるうアドベントカレンダー21日目。
今日は2024年2月20日。
4年前の今日は、うるう横浜公演2日目です。

いつつ いつの頃から語られてたか
むっつ むかしむかしからこの森にゃあ
ななつ ななしのフクロウおばけがおったとさ

ヨイチは「フクロウおばけ」に扮して、マジルの同級生たちを追い払います。


「フクロウおばけ」

フクロウが世界中で古来より不吉なイメージを抱かれていた、という話を上の記事で取り上げました。
「フクロウおばけ」のようなフクロウをモチーフとした妖怪も、世界には実際に存在しています。

東北地方に伝わる「たたりもっけ」という妖怪は、死んだ赤子がフクロウに憑りついて鳴くと言い伝えられています。
ここでもフクロウの鳴き声が人間の泣き声のように聞こえる、不吉な印象が妖怪という形で伝承になっています。

また宮澤賢治の故郷でもある花巻にも、「しまこぶんざ」という妖怪が言い伝えられています。

子どもが夜更かししていると「しまこぶんざ(しまこぼんず)来んど」と威した。しまこぶんざはフクロウ。フクロウに連れて行かれるぞ、という意味だったらしい。

夜更かしをすると連れて行かれるという点は、やはり夜に鳴くフクロウのイメージに由来するものでしょうか。
マジルが先生から聞いた「うるう」と鳴くおばけが出るという言い伝えも、こうした現実に存在するさまざまなフクロウの妖怪や怪異の伝承に重なるものがあります。

おばけの衣装

フクロウおばけに扮したヨイチは、フクロウのお面を被り、大きな翼を身にまといます。『うるうのもり』の中では、ヨイチとマジルが協力して翼を作る場面もありました。

初演〜再演で使用されたフクロウおばけの衣装について、展覧会で展示された際に以下のようなメモを残していました。

お面:針金部分も見えていて、眉毛の毛皮の部分が立体的。
翼:透明なビニールの包装紙やレジャーシート(青地に赤線)、緑のネット、手袋と、森で拾ったものでできているが、全体はフクロウの色になるように作られている。
翼の手袋や軍手はすべて片方だけ。翼には葉っぱもあった。

翼は遠目に見ると本物のフクロウの羽根のような色合いですが、近くで見ると軍手や手袋、レジャーシートの切れ端や包装紙なども付いていました。
ここでもヨイチが森で見つけたさまざまなものを拾い集めて衣装を作っていることがわかります。
「森に来るな」と人間を脅すフクロウおばけの衣装に、人間が生み出したゴミが使われているという点にも、考えさせられるものがあります。

ちなみに初演〜再演の頃は長い杖を使って前に進む仕掛けがあったので、やはりフクロウおばけの衣装も再々演で新しくなっているのではないかと思います。
長い杖で空を飛ぶように動くフクロウおばけの神々しさも美しかったですが、再々演のどたどたと足を踏み鳴らして子どもを脅かすフクロウおばけもまた、滑稽さと不気味さを併せ持っていて好きでした。

衣装と同じく、冒頭に引用した口上も初演の頃は少し異なっていました。

いつつ いつも足場がいいとは限らないし、雨の後はぬかるんでいるし
むっつ 無理に通ろうとすると服が引っかかっちゃったりする場合もあるし
ななつ 長いと思っているのは君達だけじゃない
やっつ やっぱり来なければよかったと後悔しても
ここのつ ここの土地勘は私の方があるわけです

初演当時のメモを見ると、再演以降のよりも上手く決まらない口上だったことがわかります。これはこれで、ヨイチの「はやしたてる歌」のような遊びが苦手な側面が出ているように感じます。


ヨイチと「おばけ」

『うるう』という作品のモチーフと「おばけ」という言葉が重なるものとして、「おばけ暦」というものがあります。

上のの記事で取り上げた明治の改暦の際に、国が出版する新しい暦において、それぞれの日の吉凶を示す干支、六曜、二十八宿などの「暦注」は迷信として排除されました。
しかし当時の人々にとって、日々の運勢や縁起の善し悪しを示してくれる暦注は、カレンダーには欠かせないものでした。
そこで国の目を盗み、さまざまな暦注を記載した暦が民間で違法に発刊されました。こうした暦の発行所は政府の目から逃れるため、偽った住所を転々と用いていたため、正体のつかめない「おばけ暦」と呼ばれるようになりました。

「おばけ暦」は当時、暦注を重視した庶民に人気を博しました。
むしろ江戸時代には暦に記載されていなかった暦注も新たに採用され、当時流行したといいます。
たとえば現在もカレンダーに記載されている大安や先負といった「六曜」は、むしろおばけ暦によって注目され始めたとも言われています。

「閏」という言葉が持つ「正統ではない」「本来存在しない」という意味を考えると、「おばけ暦」のような言葉で用いられている「おばけ」にも、「閏」と共通の意味合いが含まれていることがわかります。

ヨイチがフクロウおばけに扮して子どもたちを脅かす場面は、愉快でありながらも不気味で、終盤にその姿のまま木に登って叫ぶ姿には恐ろしさや哀しさのようなものが感じられます。
そうした印象は、恐ろしいものでありながら、少し滑稽にも感じられる「おばけ」という言葉の響きと共鳴しあっているように感じられます。


[うるう日記]2024.2.20 横浜公演2日目


・「二人三脚、変な三脚!」
・「いつも一つ…たりない! 足りそうだったのに!」→5つ「どれか一つくらいいけるだろ」
・統計、裏面を見せながらやっていた「あれ、今こっちの面見せてた?」
・「春はなんとなく、夏はやんわりと、秋になっていくものだろ」と言っていた
・穴に落ちて怪我したマジルについた土を払う動きが見られて嬉しかった
→マジルの声
これを聴いた瞬間なんだかあまりの嬉しさに泣いてしまった。説明しようがないんだけど、マジルが穴から這い上がる音として、一度しか演奏されていなかったファーレ ミーシ ドーラ の一部が変容してもう一度現れたことが、その音がマジルの音として存在することを後押ししているようで
・穴に落ちて(穴におちるチェロの音)、膝にドクダミを塗る
・ちょっと、ついてこい の言い方 少し考えつつ、何かを決心したような言い方だった
・チェロが待ちぼうけを弾いている時、目の前にあるからすうりが揺れる。それがもう、なんと言えばいいのか、 見えた景色を詩そのものだと感じた。
・ヨイチがマジルの頭を撫でる時、泣いてしまったな。あんなに優しい手つきで撫でていたんだな
・秘密の畑のあとに月の影絵の場面になる時、いつも、あんなに美しいものを見せてもらったのに、もう影絵なんだ、そんなにずっと美しくていいのかという気持ちになる。
・グランダールボの話に、「マジル、きいてきいて」
・そこへうさぎがとんででて、からずっと叫ぶような声
・マカに「足がつりそうだ!がんばれヨイチ!」
・最後、チェロを弾ききった瞬間、彼は上を見上げるような目線で弓をあげていて、それがあの絵本の丘の上から森を眺めて演奏している姿と重なった。
そこから立ち上がってヨイチと同じ目線の高さで向かい合う、舞台でしかできない、一番美しくて幸せな再会の表現
・低音がすごく響いた 調弦の一番下、C-Gが体に響き渡った
 

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