2024.2.26「ひとりになりたがるくせに」
うるうアドベントカレンダー26日目。
今日は2024年2月26日。
4年前の今日は、うるう大阪公演1日目です。
マジルが伝えたその言葉を、ヨイチは繰り返します。
ひとりになりたがるくせに、寂しがるんだね
ヨイチは自分の半生の独白を終え、「だから私は、人を好きにはならない」と結びます。
その瞬間、それまで切り株を照らしていた照明が消え、マジルのいる場所にピンスポットがつきます。切り株に座っていたマジルが移動してヨイチの目の前に立っていることが、照明の光によって示されています。
「ひとりになりたがるくせ寂しがるんだね。」
このフレーズは、2012年の初演の頃から作品紹介に使用されていました。
(2011年12月11日のアーカイブなので『うるう』は上演中のはずですが、なぜか上演終了時の画像がキャプチャされています。)
作品紹介の冒頭にある「ひとりになりたがるくせに寂しがるんだね。」という言葉。
このホームページを開いて『うるう』という作品を初めて知った時に見た、最初の文章でした。
しかし、初演~再演の時点では、このフレーズは作中には登場しませんでした。当時は何となく、作品を象徴する言葉として認識していました。
初演~再演において、独白を終えたヨイチはマジルから何かを言われてこう答えていました。
2016年の再演まで、マジルがその時彼に何を伝えたのかは、私たちには知らされていませんでした。
2020年12月28日、『うるう』の再々演初日でこの場面を観た時に、その変化にとても驚いたことを覚えています。
当初はセリフのニュアンスが異なり、「ひとりになりたがるくせに、寂しがるんだね、か。そうだな、どうしてだろうな。」と答えていたと記憶しています。
このセリフが作品内で現れたのはそれが初めてだったので、世界が反転したような驚きがありました。そしてその時、初めてこのセリフがマジルの言葉であったことがわかりました。
初演~再演の時点で、この場面のマジルは今と同じように「ひとりになりたがるくせに、寂しがるんだね」と言っていたのでしょうか。
なんとなく、自分は違うことを言っていたのではないかと思っています。ヨイチの以前の返答を見ても、今のセリフとは繋がっていないように感じます。
どう思っていれば、友達になれたんだろうか。いつか年齢が重なる日が来るということ? それとももっと、悲しみから逃げるために孤独を選んだ彼の生き方そのものの核心に触れるような言葉だったのだろうか。
2020年の再々演を観るまで、何度も考え続けたことでした。マジルが何と言ったかわからないように作られていたのは、こうして観客に問いを投げる意味もあったのではないかと思っています。
けれど、マジルはまだ8歳の少年です。私たちと同じように、ヨイチの抱えている苦しみや悲しさの全てを理解することは難しいだろうと思います。
ヨイチの半生を知ったマジルが彼に投げかける言葉が「ひとりになりたがるくせに寂しがるんだね」であったと2020年に明かされた時、初めてそれがマジルの言葉として腑に落ちたような感覚がありました。
ヨイチの生き方に対して何かを問いかけるのではないこの言葉に変化したのは、マジルという子なら一体何と言うだろうか、ということが考えられ続けた結果なのではないかと勝手に想像しています。
また同時に「友達になる」という言葉の意味合いも、初演から再々演にかけて少しずつ変化していたように思います。
ヨイチはかたくなに「友達にはならない」と言っています。けれどヨイチとマジルはとっくに友達になっていると、観ている誰もが感じているはずです。
「友達になれた」「なれなかった」という言葉を使うことをやめたのは、二人の関係に明確な線引きをしないためだったのではないかと感じています。
この場面で、マジルはヨイチを蹴って怒ったような様子を見せます。
苦しみを吐露したヨイチとは対照的なマジルの様子を見て、彼の独白に没入していた自分はいつも我に返るような感覚がありました。
マジルにとっては、なぜ自分が彼と友達になれないのかということが一番大きな目の前の問題で、ヨイチが独りよがりで寂しがって他者を拒んでいるように見えたのかもしれません。
この物語は常にヨイチの視点で進み、私たちもヨイチの視点に立って感情を揺さぶられることが多い作品です。
けれどこの場面ではマジルの行動や言葉から彼の感じている世界を見せてもらえるような感覚があり、それに少しだけ救われるような気持ちにもなります。
2月26日
2020年2月26日はうるう大阪公演の初日でした。
コロナの影響で大規模なイベントの延期・中止が求められるというニュースが報じられた当日でした。
『うるう』だけは絶対に延期にはできないという気持ちで、無事に幕が開くことをただただ祈り続けていたことをよく覚えています。
そんな中で更新された「本日から2月29日まで、サンケイホールブリーゼにて「うるう」大阪公演を開催します。」という文章に、救われるような安心感を覚えました。
あえて感染症のことには触れずに、しかしマスクの着用について気遣うような言葉も、当時はとてもありがたく感じました。
今では当たり前に使われる感染症関連の注意喚起ですが、当時の新型コロナウイルス感染症は未知の恐ろしいものという感覚が強く、そうした文章だけでも恐怖感が煽られるような感覚があったと記憶しています。
こうした言葉選びの一つ一つにも、『うるう』という作品を最後まで粛々とやり抜こうという沢山の人たちの想いを感じました。
うるうアドベントカレンダーもあと3日となりました。
最後までどうぞよろしくお願いします。
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