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2024.2.21「不老不死」

うるうアドベントカレンダー22日目。
今日は2024年2月21日。
4年前の今日は、うるう横浜公演3日目です。

私の体はね。
年を取るのに、普通の人の4倍の時間がかかるんだ。
本当に4年に一度しか、年を取れないんだ。
体は38歳だが、生まれたのは152年前だ。

ヨイチはマジルに自分の秘密を告白します。
彼は152年にわたる自分の人生について、語り始めます。


不老不死への憧れ

ヨイチの父は医師だった。
漢方、蘭学を学び、不老不死の薬の研究をしていた。
開発した薬を妻や自分に投与したが、効果は出なかった。
しかし、生まれてきた子供に異変が起きた。
それが4倍もの寿命をもつヨイチの正体。

彼が自分の特異な体質について告白した時、背景にはこのような説明が映し出されます。
ヨイチの父親が研究していた不老不死とは、いったいどういうものなのでしょうか。

不老不死は古来より、多くの人々の憧れる力でした。特に古代中国においては、さまざまな手法によって不老不死を手に入れようとした人々の記録が残されています。

秦の始皇帝は不老不死の霊薬を求めて使いを送りました。この時代において人間に不老不死の力をもたらす薬は、仙人のような特別な力を持つ超越者から手に入れるものと考えられていました。
しかし漢の武帝の時代になると、不老不死の薬を「作る」という考え方が広がります。このような技術は錬丹術と呼ばれました。

錬丹術では鉱物を人工的に合成することによって、不老不死の効力を持つ薬を生み出すことができると考えられていました。手法としては西洋の錬金術にも共通する部分があります。
しかしこのような手段で生み出される薬には強い毒性があったため、不老不死を求めて服用した多くの人々がその薬によって命を落としました。唐の時代には錬丹術が流行ったことで、薬の服用による中毒死が後を絶たなかったといいます。

このように、不老不死を実現するための試みは古代の中国で数多く行われていました。
漢方と蘭学を学んでいたヨイチの父親は、医者として現在の西洋医学に通じる知識を学んでいた一方、東洋医学の歴史にも通じていたのではないかと思います。
「不老不死」の歴史を考えると、ヨイチの父親は古代中国から続く不老不死への憧れを、漢方の知識を土台として、西洋医学の知識を取り入れて実現しようと試みていたのかもしれません。


八百比丘尼

不老不死や長命の能力を持った存在の伝説は世界中に数多く存在します。
その中でもヨイチのような存在に近いと思われるのが、「八百比丘尼」伝説です。

八百比丘尼(やおびくに、はっぴゃくびくに)は800歳まで生きたと言われる伝説上の比丘尼(尼僧)です。

日本各地に残る多くの伝説において、八百比丘尼が長命になったきっかけは「人魚の肉」とされてます。
こうした超常的なものを口にしたことで人智を超えた力を手にしたという考え方は、秦の始皇帝の時代の不老不死の霊薬に類似しています。

人魚(『観音霊験記 西国巡礼三拾二番近江観音寺 人魚』より)


八百比丘尼は日本全国を回り、椿や杉、松の木を植えたと言い伝えられます。
日本の各地に八百比丘尼が植えたと言われる木が残されており、たとえば玉若酢命神社の八百杉もその一つです。

八百比丘尼の伝説を調べていくと、ヨイチという存在にも重なる部分が多くあることがわかります。八百比丘尼の姿は800年生きているにも関わらず18歳前後のようであり、その髪は白かったとも言い伝えられています。こうした外見上の特徴はヨイチと共通しています。

また八百比丘尼が人魚の肉を食べたきっかけについて、林羅山の『本朝神社考』では、ある男が山中で異人に招かれて人魚の肉を勧められたが、食べずに持ち帰ったものを娘が食べたことで長寿になったと記されています。
その長命のきっかけが父親にあたる存在である点も、ヨイチの人生と重なるように感じます。

八百比丘尼は人魚の肉によって、本来は1000年の命を手に入れていたとも言い伝えられています。しかし彼女はそのうち200年分を人に譲り、自身は800年の命を生きたと言われています。長い命を生きることに苦しみ、最後には自ら死を願ったとも言われます。
また彼女が故郷に戻ってきた時、自分の知り合いが誰もいないことに悲しんだとも言われています。こうした八百比丘尼の物語に語られる彼女の悲しみや苦しみは、ヨイチが告白する心情にも重なっています。

生まれて8年経っても、体は2歳。
16年経っても、4歳。
48年経っても、12歳。
100年経っても、25歳。
152年経っても、38歳。

ヨイチの父親がいったいどのような目的で不老不死の研究をしていたのか。それが古代中国の人々と同じような人類の夢・憧れに端を発するものだったのか、純粋な研究への探求心だったのかはわかりません。
しかしどのようなきっかけであれ、父親は自らの研究対象として自分と妻の身体を選び、その結果ヨイチに影響が及ぼされてしまいました。

ヨイチが生まれた時のこうした背景のことを考えるたびに、現実の冷たい質感が『うるう』という絵本のような世界観の物語に忍び寄って来るような感覚に襲われます。



[参考文献]
大形徹『不老不死 : 仙人の誕生と神仙術(講談社現代新書)』講談社、1992年
吉川忠夫『古代中国人の不死幻想(東方選書 ; 26)』東方書店、1995年
遠丸立『永遠と不老不死』春秋社、1996年
三浦國雄『不老不死という欲望 中国人の夢と実践』人文書院、2000年
海野弘『伝説の風景を旅して』グラフ社、2008年
秋岡英行, 垣内智之, 加藤千恵『煉丹術の世界 : 不老不死への道(あじあブックス ; 080)』大修館書店、2018年


【うるう日記】2020.2.21 横浜公演3日目

突然ヨイチの後ろに映った影が目に入ってきて、その瞬間に彼が人間としてそこに立っていること、この作品が人間によって今この瞬間に演じられているということが、一気に流れ込んできた。
ずっと泣いていた。 最初も泣いてしまったし、秘密の畑でずっと泣いていたし、別れの場面で本当に泣いていた。

・「さあ、もう帰れ」の声があまりにも優しくて  優しく諭すように告げて、肩に触れていた。
・いつもひとつ足りない、二つに割った後の3つの時、最後のひとつを取れそうで取れず、「取れそうだったのに!」というのが増えているのが、これによって5つの時に手に入った瞬間の客席の嬉しそうな声が増えていて、凄い...。
・穴に落ちたマジルの音、「なーんだ、そんなかすり傷くらいで」に返事をするかのようなタイミングだった。穴からマジルを助けて、ヨイチは彼の背中についた土を払っていた。
・ふくろうのお面をつけて出てくる時、ミシ で出てきて、しばらく見回して、普通に歩いて去る。 
・2年生の回想の時のラーソファミレ ラ というクラシックのような音、32歳の心の声が聞こえる時には同じ音形がゆがんで演奏されていた。
・回想のクレソン先生の曲、どんどんゆっくりになっている。
・ヨイチが「じゃあね! また明日」と言う時が、あまりにも苦しく響くようになった 。「また明日」があることを、自然に当たり前のこととして受け入れているその言葉。
・いつもひとつたりないの後半のチェロって、その後の場転でのうるうびとアナグラムの音に繋がるようなものになっているなあと今日気がついた。
・前半一回マイクの調子がこもった感じになってしまって、ちょっと雑音が入るようになった。


おそらくこの回の一部と22日の公演が映像に収録されているのではないかと思います。youtubeに『うるう』の映像が公開されましたね。いつかこの日が来るとは覚悟していました。
自分はどうしてもこの作品を映像で見ることができないので、できるだけ自動再生などで出会わないように生きていきたいと思います。たくさんの人がこの作品と出会えるようになったことを嬉しく思います。


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